人生って、フェーズがあるのか

住人

先日中学の同級生と会って話をした。

というのも、そいつが、自分の店を出す、それも松本のパルコに。と中学の部活のグループラインで言っていたから。

その中で感じたことを今回は書きたいと思う。








その同級生は今、全国展開されている某アパレル系列店で長野県の中で結構上の立場にいるらしい。聞いていくと、そのアパレル店で全国一位の売り上げを出したこともあったらしい。そいつが今度は自分のブランドを立ち上げ、店を出すという。



そいつは中学の時はどこか抜けていて、ほわーんとしてるような奴だった。
何にも考えていないような、楽観主義で「まあなんとかなるでしょ」って感じ。
まして、「自分の店を出したい」「自分のブランドで世界に名をとどろかせたい」なんて野望を持つような奴だとはその時は全く思わなかった。




そんな感じだったのが、数年ぶりにあってその印象がまったく変わっていた。

まず話し方。
高校生で会った時はどことなくチャラいような話し方をしていた。なにより言葉が軽かった。
でも、今回は違った。
見た目は全然変わらないのに、なんだろう、声の質が違う。重みが違う。そんな感じ。


次に、考え方が違う。
以前は勉強にしろ、部活にしろ、なんにしろ「なんとかなるでしょ」というふわーとしたものがあった。そしてそれが「そいつ」ってぼくのなかっでは思ってた。
でも、今回は違った。正直大きすぎるくらいの大きな野望を持ってるのに、びっくりするくらい現実を見ていた。

今このタイミングで店を出す理由
それも松本のパルコに出す理由
お客さんに買ってもらって、それでいてちゃんと利益が出るように考えた経営戦略
などなど。


それらの裏には計り知れない苦労があったのだろうことが感じられた。

役職が上がるたびに増える不条理な上司からの叱責
店を出すために銀行を駆け回ったこと
離婚…

でも、そんな苦労を乗り越えて自分の店を出し、新たな道をスタートさせたそいつは、明らかに疲れていたし、苦労の真っ最中ということもわかったけど、なにより

「かっこよかった」

















そうするといつものぼくの癖で「それに対して自分は…」という思考をしてしまう。
そいつと会う前に時間があったからカラオケで少し歌い、その友達が来るまで学校の子にお勧めされた小説を読んでいた。
「人生の中でやりたいこと」はあっても、そのために何かしているのかと言うとしていない。そもそも人生をかけてまでやりたいことがあるかと言うとそうではない。

「今この瞬間が普通に楽しい」

その繰り返し。






















話は変わって、この間実家に帰った。
そこで甥っ子が、ぼくが小学生の時にやっていたロックマンのゲームソフトをやっていた。

「にいにやって」

と言われるが、

「にいにゲームあんまり好きじゃないんだ」

と言ってぬらりくらりと回避。
でも、自分が小学生の時は、どうしてもそのゲームが欲しくてねだって買ってもらい夢中でやっていたはずなのに。
そもそも今は全くと言っていいほどゲームをやりたいという欲求がない。



















もちろん人によって違いはあるだろうけど、「人生のフェーズ」というものを考えずにはいられない。

「アンパンマンを楽しいと思うフェーズ」

「ゲームが楽しいと思うフェーズ」

「部活が楽しいと思うフェーズ」

「カラオケを思うフェーズ」

「小説を楽しいと思うフェーズ」

「ファッションが楽しいと思うフェーズ」

「こどもたちと和気あいあいとした時間を共有するのが楽しいと思うフェーズ」

「お客さんが自分の勧めた服を着て喜んでくれるのを楽しいと思うフェーズ」

「自分の思い描く店を出そうとするフェーズ」

こう書くと、どれとどれが同じフェーズ(次元)で、どのフェーズが高次で、さらにその同じフェーズの中でどれが高次なのか、というのは難しいと思う。
当たり前だが、大人でもゲームや小説を楽しいと思う人もいるし、それを生業としてる人もいる。
そもそもフェーズとして一つの同じ軸で考えてはいけないとも思う。「仕事」と「趣味(娯楽)」という括りで分ければ、その境界は曖昧だ。



でも究極的に大事なのは「そのフェーズにいて楽しいかどうか」、つまり「自分に合ったフェーズにいるかどうか」なのではないかと、ぼくは思う。
上のフェーズに行くことが目的じゃなくて。
今の自分がその瞬間を「楽しい」「充実している」と思えば、そのステージがその時の自分に合っているし、もしそうでないなら上のフェーズに行くべき。むしろ、「楽しい」「充実」を求めていったらフェーズがあがっていった、みたいな状態が一番いいのかもしれない。




そう考えると救われる自分もいる。
自分とは違い「かっこいい」と思う「あいつ」は、ちょっと先のステージを楽しんでいるだけで、自分は自分で今下のステージで同じように「楽しんでいるんだ」と。
逆に背伸びしてなにか「かっこいいこと」をしようとすることは「人生を楽しむ」という目的からすれば違っているのではないか、と。



でも、同時に今の自分のままでいいのか、と問われてる気もした。

「あいつ」のように「かっこいい」存在でいるためには今の自分で現状満足していてはいけないんだ、と。

そう思ったら今の自分ができることはなんだろう。
自分がやりたいことへの努力ってなんだろう。
と考えた。









そう思ったら居ても立っても居られなくて、丸善にいき、久しく受けていなかったTOEICと数検の問題集を買い、わかりやすく目に見える形で「成長」をしようするのが今の自分だった。

あかっぱ

よく中学生に間違われます。「見た目はこども、中身もこども」な25歳です。

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