くそつまんないから赤裸々に煮込んで捨てろ

住人

25歳で結婚した。わりと早い方だと思う。子どもはすぐにできなかった。≪まだ子どもを育てる勇気と決心が持てない≫という意見が妻と一致した。なので新婚気分を何年も続けた。結局32歳まで、我が子とは対面しなくて、今思えば、「孫の顔が見たい」とひと言も漏らさなかった双方の両親に、ずいぶんと歯がゆい思いをさせてしまったなと申し訳なく。

プロポーズは踏切の前で、電車がわたしたちの横を通り過ぎる際に、それを告げた。念入りに準備していた。。。わけではない。その場の思い着きと言ったら彼女は怒るだろう。その夜、酷く落ち込んでいて、せっかくのデートなのに、レストランで出された食事に一口も手をつけずに店を出た。わざとだった。多分、≪鬱≫だった。忙しいのに時間を作ってくれた彼女にした惨い仕打ち。なのに、彼女は怒るどころかわたしのメンタルを心配して、慰めてくれた。無理やり夜の散歩に引きずり出されて、何気ないことを話してくれた、気がする、する、する、する。「この人はなんなんだ?!」と思った。こんな気分屋のわたしに呆れもせず、落ち込みがちな性格にも目もくれずに愛してくれる。一体、何?

気付いたら踏切の前で「結婚しようか?!」と口走っていた。「あとで後悔するから、よく考えて!」と彼女は慌てた。笑えた。それで気の狂った私は、その場で実父に電話して結婚する旨を伝えた。「お前、酔っ払ってるのか?」と実父。「酔ってないよ」とわたし。たしかに酩酊していなかった。食事はおろか、飲みものにも手を出さなかった夜だったのだから。付き合ってから9ヶ月しか経っていなかった。でもわたしたちには関係なかった。充分だった、満足だった、何より若かった。

紙切れ一枚で契約をしたのは、その夜から1週間もしない6月。誰もが疑問に思うのは、紙切れの意味だ。愛し合っていれば、そんなものは無意味なはず。本当に愛し合っていないのなら、必要かもしれないが。我々は恥ずかしげもなく言うと、前者で、少なくともわたしには、≪紙切れ契約≫を結ぶことに抵抗があった。でも、そういう仕組みだから仕方がない。晴れて彼女は名字を変えた。

夫婦別姓でいいと思う。確かに同じ名字の方が一体感があるかも?! でも無理強いするのはわたしは苦痛だし、彼女が望まないのなら、今から旧姓に戻してもらって構わない勢い。男だからわかりかねるけれど、自分の名字が変わるってどんな気分?! 大切なものを奪われる気はしないのか。人生を共に生きることを強要されると感じないのか。幸い、現在の妻は≪中川≫の姓を名乗り続ける気持ちのよう。≪幸い≫と書いたところにわたしの昭和気質な考え方が伺える。≪夫婦別姓、結構ですよ≫という顔をしながら、実はそれを許していないのでは? わたしが女性だったら嫌かなあ。特に彼女の妻の旧姓はなかなか珍しいものだったので、そう名乗れなくなるのは寂しかったかもしれない。わたしがあの旧姓だったら、素直に≪中川≫なんていうクソ退屈な名字に変わりたくはない。ごめんね。

新婚の頃の思い出と言えば、布団一枚にくっついてふたりで眠った日々。雑誌編集の仕事でなかなか家に帰れなくて彼女から「好きな人と結婚したのに、全然楽しくない」と言われた生活。飛行機が高層ビルに突っ込んだあの映像を他人事のように「映画みたい」と言ってテレビを消して一緒に寝た昼間。のろけ。

30歳手前までは幸せな結婚生活。それ以降の彼女にとっての地獄の日々は、波乱で苦痛のほかナニモノでもない。結婚する時、義父に「わたしと結婚したら、苦労はかけるかもしれませんが、でも、悲しい思いはさせません!」と伝えたことをはっきり覚えているが、その約束を破ってしまった。失踪、自殺未遂、精神科病棟に入院、etc……。それはこれまで書いて来たし、またの機会に持ち越すかも。

20代は幸福で、音楽の雑誌編集に始まり、クラブ通いして音楽を爆音で浴びるライフもあった。片思いの人が何人かいた。でも結ばれなかった。とはいえ、携帯電話が普及したあの時代に、文通でひとりの女性に出逢えたことは大きい。とても大切な人、好きになった人、好きだと言ってくれた人。それが今の妻です。30、40と年齢を重ねて、日に日に生きづらいのだけれど、妻や娘や猫がいるから、がんばれる。あの踏切の前で衝動的にプロポーズした自分は、正しかった。正しかった?! まだまだ結婚生活は長い。まだ半分も行ってないのかもしれない。だから、家族が幸せあるように、一日一日、一番一番、挑んでいくんですよ。決意表明。ありがとね。

〈了〉

なかがわ よしの

生涯作家投身自殺希望。中の人はおじさん。早くおじいさんになりたい。

プロフィール

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