あいまいの狭間で

住人

揺れる

ゆれる

まさに

ままならない

あいまい

曖昧の狭間で

期待と不安と

喜びと悲しみと

渇望と絶望と

そんな相反する感情が交錯する

曖昧の狭間で

心の置き場所を探している

「こんな時、言葉が邪魔だったりする」

いつか聞いた歌の歌詞が反芻(はんすう)する。

自分の望みを叶えるために

伝えるべきことは伝えた方が良いのか

だけど時に、言葉が災いの元となることがある。

嘆くなら祈ろう

如何しようも無い

曖昧な感情の置き場も忘れて

落ち着く場所もなく

途方もない旅路に出たようで

早く落ち着きたいけれど

落ちたくはない

そんな、自分の感情の置き場もわからない

曖昧な曖昧な狭間を行き来している

**********

一つ、一つ、これも一人じゃない証か。

一人で生きているなら、誰かのことを考えてわからないことを嘆かなくたっていい。

片想い中の相手だって、恋人だって、家族だって、仕事仲間だって、友人だって

だけど、その誰かと関わった途端に、この曖昧な狭間に放り込まれる。

いつだって、相手がどうしたいのか、そして自分はどうしたいのか

相手の幸せは自分の幸せだって、心からそう思うし断言できるけど

それがもし、自分の意思に反する方向でも、本当にそう思えるのだろうか?

家族がもし、変な方向に行ってしまいそうだったら、それに気づいているなら、全力で止めたいし、たとえそれがエゴだとしても、救いたい。

逆に、社会的に可哀想だと言われる立場で不当な労働を強いられている人たちだって、仕事があるだけマシだと思っているかも。それを救いたいなんて、エゴだろう。

片想いだなんて、最もやるせない。相手がその気は無くても、自分はその人と居たいのだから。
マンガやドラマで出てくる、「その人が幸せなら身を引く」キャラクターに思わず涙したことがあるけれど、

どれだけ深い想いがあるのか、本当に器が大きいのか、、、

やっぱり、うまくはいかないや。

仕事でだって、こちらがどれだけ苦労して尽力したものであっても、お客様が気に入らなきゃ、成立しない。「努力賞」がもらえる簡単なものではない。結果だ。それらをうまく要領よく適度にできる人が、仕事ができる人なのかもしれない。

もちろん、「お客様のニーズを把握して」も能力だが。忍耐力と。実行力と。

少々、話が広がり過ぎたが。

自分はいま、たくさんの過渡期と狭間にいて

周りの人たちに感謝しながらも、

新たなステージに向かうために、

たくさんの狭間で

自分自身の曖昧な感情と向き合っている。

だからこの如何しようも無い想いを、このおどりばに置かせてもらいました。

次、書くときは、この曖昧を一歩でも二歩でも進められていたら良いな。

こもれび -komorebi-

こもれび

『こもれび』 木陰でそっと休む。 見上げれば、キラキラした光。 吸い込めば、青々とした緑。 耳をすませば水の音。 そんなひとときを過ごせるように。 自分のた...

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