マジメだっていいじゃない。
茹だるような暑さ。200人の階段教室での授業が終わった。必修でみんな講義を受けているおかげで席は詰め詰めだ。
慣れない地にもやっと慣れ始め、ぼちぼち親しい友人ができ、のんびりした大学ライフを楽しんでいた。そんな時期だった。
ちょうど、夏休み前の最終講義で、課題が出た。
今となってはどんな課題だったか忘れてしまったが、質問があったわたしは教授がいる研究棟へ向かったのだった。
他の子にも質問したけれど、みんな夏休み前のせいか、上の空で
「聞いといて〜、まぁなんとかなるっしょ」
そんな答えが大半だった。
5階にある教授の部屋には本がびっしりと敷き詰められていて、足の踏み場もない。
「あの〜、さっきの講義受けてて質問があるんですけど、いいですか」
質問する学生はほとんどいないらしく、教授は「珍しい学生もいるんだなぁ」そんな表情でコチラを見ている。
ひと通り質問を終えると、ぽつり、と一言。ほとんど無意識だったと思う。
「真面目って、ばかをみますよね。世の中、そんなもんですよね。」
そうだった。小学校のときから。
帰り道、いたずらっ子に傘でランドセルでたたかれて泣いている子がいた。注意しても直さない。翌日先生に言っても
「あの子はいつも優しい子よ、そんなことしないわ」
そんなひとことで片付けられてしまう。
それから、それから、中学校のとき、、。
走馬灯のようにいろんなことが頭の中で巡ってきた。しかも些細で何十年も忘れてたことまで。
あんなこと、こんなこととぼんやりと考えていると
教授の口からあるヒトコトが出てきた。
「そうですか?真面目にやって損なんてしません。世の中、見くびらないでください。」
「そう思うなら、ウチのゼミに入ったらどうですか?」
きょとん。
意外なコトバだった。
このコトバがわたしの大きな分岐点になる。
たしかに、そのあとのゼミライフは決して楽なものではなかった。
でも、真面目にやって損をすることはなかった。それに、わたしの「マジメ」にどこか堅苦しさを感じつつも、それを認めてくれる仲間に出会った。先生に出会った。
逆にわたしが「フザケテル」と決めつけてた人たちにも「マジメ」があることを知った。
「真面目って、ばかをみますよね。世の中、そんなもんですよね。」
決めつけていたのは 「わたし」だったのだ。
「マジメだっていいじゃない、世の中捨てたもんじゃない」
今は、そう思える。
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