怠惰と希望を混ぜた、必要苦のボディーブロー

ぼくは今、『必要苦』にボディーブローをかまされている。

自分自身がこの世界に生まれて何か、周り≒社会に還元できるものを、ふと考えてみたときに、その物事の前例があるものばかりを思いつくことがまず個性が乏しいのだけれど(−_−;)

どんな物事も、模倣や基礎があった上での発展があると考えている。でも、その基礎に至る部分を始める時点や、その中途において、どうしても比較をしてしまう癖がある。自分が最終目標に掲げている”自分自身”の目標が高い典型的な挫折人間の指標、みたくなっているのが、またどうにも悔しくてたまらない。

その指標、みたいなものは大から小までたくさんとある。小さなことから言えば、小さい頃から経験してこなかったピアノが弾けるようになりたい、とか、小さな時から触れていなかった手芸なんかをやってみよう、とか。大きなことで言えば、作曲家になりたい、とか、俳句大賞に選ばれたい、とか、センスを磨くためにたくさんの努力をしなければいけないことも多々あって。また、今働いている会社の、自分の部門で一番いい仕事をしたい、と言う野望もあって、どれもこれもしっかりとした努力の上に成り立つ結果のもの、と言うことばかり。

センスを磨くためには、本当にたくさんの数をこなす必要があって、どれもこれも高みを目指したくなって、人生なんて1回じゃ足りなくない?と思っていたのは、浪人生の頃から何ら変わらず。さて、大人になってから変わってしまったのは、仕事と並行しながらやることによって、体力と気力の減退を感じざるを得ないところ。これは、つい先日に30を迎えた自分としては、かなり痛々しいところ。今までのように動けば、必ず体に何かしらの支障が出てしまって、でも上の人に言わせればむりできるのは今のうち、だなんてことも騒がれて久しくない。

疲れて動けないいい・・・・は怠惰だ。

なりたい、叶えたい、などの願望が強ければ強いほど、そんなことを考えるいとまもないからだ。でも、それができない、と言うことは、目標に対する自分の思いが弱いのか。しかし、その場面にまた出くわすと、やはり努力が足りない、努力をしなければ、と強く思い始める。この永遠的な流れから、なかなか抜け出せない。

頑張る理由もある、でもそこにまた横から、比較の波がやってきて、体を動かす足枷になってくれる。その苦しみは、必要な苦しみであって、その苦しみ方は人それぞれで、またこれを乗り越えた後についてくる結果や能力こそが、オンリーワンの輝きを放つと言うのに、その苦しみのはざまで僕は、まだ立ち止まってしまうことが多い。進めていないわけではないけれど、さてふわっと生きてきたここまでのツケが、きているようにも感じる。

いざこの年になって、自分の強みが揺らぎ始めてしまえば、不安や孤独を一気に感じてしまうような感覚に陥るし、それを凌駕する努力に、相応する体力の心配なんてしてしまって、まさにブローが効いてきてる。そんな、新たな”おどりば”に差し掛かっているような気がする。

時に、私がこの世界に生まれた意味なんて、と思うこともあるし、全ての活動がその先にある”無”を見据えた時に、果たして意味があるのか、と言ううところまで思い至ってしまうと、またそれはそれで悲しくなるし、人が続く限りは未来はあるから、自分亡き後に残せるものはあらゆるものでありたい、と言うところを考えるけれど、ゆとり後ならではの自己顕示欲世代でもあるから、自分ー自分達の生活こそ命、と言う強欲な面もあって、様々な谷の中にいるような感覚もある。

 そう、言うなれば、

自分以外への人間全てへの『嫉妬』です。

でも、嫉妬をする、と言うことは、そこに何か明確な自分の目標や理想像があるわけで、その理想より上にあるーもしくはその線上にいる人・・・あるいはその人自身ではなくその人の能力やポテンシャルそのもの・・・に対して、大きく嫉妬をしてしまうーつまり比較をしすぎてしまう、と言う一つの病に苦しめられている。誰が悪い、悪くない、と言う世界線に答えがなくて、自分自身の息詰まりを解消すればいいだけの話、だけれど、自分自身が自分自身に課していくタスクは年齢と共に上がっていってしまって、それを今はうまく、やり過ごしながら、もしくは必ず達成するために石橋を叩く準備をする期間、なのだとして自分に言い聞かせている。

例えば、今日はこれができたからおまけしちゃおう、と言うぷりんも少し減らして、なんてやってみるか。なんて、そうなってくると、鞭ばかりもいいなと思うM気質ですが。←

あまりにも、辛くなった時には、努力や目標の方向を変えてみることも、選択肢として、こわがらずに、取り入れていこうと思います。私は私のペースで。何となく生きながら明確なものが実はあって、目に見えることばかりではない価値の面について、もっと自分の中で、じぶんを研究していこうと思う。その中で、目に見える結果が残ればラッキーだし、それくらいの息の音を保ちながら、毎日を大切により、生きていこうと思う。

必要苦、に私から少しずつ、ジャブを返していこうと思う。

2022の、5ヶ月目の10号室より。

t tatsuでした。

明日も、全世界の全てのものに、人に、幸せが訪れますように。

t tatsu

山梨在住。あっちいったりこっちいったり、浮き沈みの激しい人生。音楽、本、映画やことばを好みます。多趣味多忙が代名詞。 …「あたりまえ」のことは、そうでもない...

プロフィール

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