世界一のわがまま
「誰かの幸せが自分の幸せなんです。」
突然そんなことを言ったら、きれいごとじゃんって笑われるだろうか。
でも、わたしもちょっときれいごとじゃんって思う。
自分の幸せと誰かの幸せが対立したときって、難しい。
給食のクレープとか、クリスマスケーキのサンタのマジパンとか、魅力的なものっていつも個数限定だ。
大人に近づくにつれて「はんぶんこしよ!」じゃ解決しないことが増えていった。じゃんけんの神様に祈りながら、手を組んでひっくり返して何を出すか決める、あのお決まりのおまじないもだんだん効かなくなってきた。
負けてもいいやと思っていても、いざ負けるとやっぱり悔しい。誰かの幸せが自分の幸せなんて、嘘なのかもしれない。結局自分が1番かわいいんだ。
そう思うと自然と涙がぽろぽろとこぼれた。周りの人たちが優しくしてくれればしてくれるほど、自分の心の狭さにまた泣いてしまう。悔しさと、嬉しさと、申し訳なさと、ありがたさと。いつも気持ちがぐちゃぐちゃになった。
ある日ふと、「わたしの大好きな人のために幸せになりたい。」と思った。
大好きなあなたに幸せになってほしいと強く願うのと同じように、
あなたはきっとわたしに幸せになってほしいと思っているんじゃないかな。
わたしの周りにはいつもそう思わせてくれる人がいる。直接会えなくても、しばらく連絡を取っていなくても、絶対にわたしの味方でいてくれているって思える人がいる。辛かったり、悲しかったりしたことはあるけど、ひとりぼっちで不幸せだったことなんて1度もないのかもしれない。
この前、ある人に「さとちゃんって幸せに溢れていて、その溢れた幸せを誰かに分けているんだね。」と言われた。そうだ、きっとわたしは幸せすぎる。
「誰かのために生きたい。」
「誰かの幸せを追い求め続けたい。」
本気でそう思っていると言ったら、信じてもらえないかな。
わたしも誰かのため、なんて何が正解かわからない。相手を思った行動だと思っていても、それは押し付けなのかもしれないし、いつも心に余裕があるわけではなくて、自分のことを優先したくなってしまうこともあるだろう。
それに「誰かのため」の「誰か」に含まれるのはほんのわずかの人で、全人類、全生命のことを考えながら生きるなんて神様でもできないだろう。
でも今わからないから、今できないからって諦めたくない。
一生かけても答えは出ないかもしれないけど、考えるのをやめたらわからないままだ。いろいろな人に出会うたびにわたしの大好きな人は増えていく。わたしは、大好きな人たちの幸せを諦めたくない。
誰かのためって自己犠牲なんかじゃない、むしろその対極にあるものだと思っている。わたしの勝手な願望だから、聞き流してもらっても大丈夫。
でも、ちょっと耳を傾けてくれるとしたら、一つだけお願いがあります。
もし、あなたが自分を信じられなくなってしまったとき、あなたを応援してくれる人を、あなたのことを大切に想っている人のことを信じると思って、自分を信じてあげてほしいのです。
あなたが幸せでいてくれることが、わたしの幸せなんです。
できたらわたしはずっと幸せでいたくて、だからあなたにはずっと幸せでいてほしいんです。
これ以上ない世界一のわがままだけど、付き合ってもらえませんか。
さとさん
とても感慨深い文章だと感じました。
誰かの幸せを願うこと
それが自分の幸せ。
それは一時、そう思っている自分に酔ってしまったいることもありました。けれど、自分の幸せが
誰かの幸せだと思って頑張ったことはなかった。
もう諦めよう、って思うことなんて
腐る程ありました、今もあります笑
でも、その一言で救われたような気がします。
いえ、自分に当てられたものではないのですが笑、
でも、そうやって思ってくれる人がきっといる
少なくとも近くにいる親、親族たち
声をかけてくれる友人
その人たちの幸せのために
自分が幸せになることを諦めないでいよう
そんなことを思ったり、幸せっていうことばの
響きや意味、またそのものについて改めて
考えさせていただきました。
心の両端がほっとして、暖かくなって
明日への活力をいただいています。
ありがとうございます!
長々と失礼しました。
さとさんの、やさしくて素敵な世界一のわがままにお付き合いしたいと思います。
「ある日ふと、「わたしの大好きな人のために幸せになりたい。」と思った。
大好きなあなたに幸せになってほしいと強く願うのと同じように、
あなたはきっとわたしに幸せになってほしいと思っているんじゃないかな。」
ここがとても好きで、
そうかな、そうかもしれない、そう思いたい……
私は私のために、そして私を好きでいてくれる人のために幸せになりたいって思いました。