主張

住人

私は小学生の頃から本が好きで、夏休みになると自転車を漕いで毎日のように図書館に通っていたような子でした。読んでいた本の質はともかくとして、自分ではない人の人生を追体験するという経験は魅力的で、探偵にもなれたし、恋愛もしたし、空も飛べました。今となっては月1冊読むかどうかという程度で、漫画を読むほうが多いのですが、やはり本が好きです。


さて、電車の中で周りを見渡すとみんなスマホを見ている風景が多いですが、そんな中で本を読んでいる人を見かけると、こっそりタイトルを見て、この人はこんなものが好きなんだと興味を持ちます。スマホは持ち主の情報が詰まっていると思いますが、本もその人がどんな人かを少しだけだけ教えてくれる気がします。それだからか、自分の本棚を見られるというのは、自分を紹介しているようで、なかなか照れることだったりします。


自己啓発本、仕事の勉強の本、 小説、 エッセイ… 社会人になってからもなるべく、本を読む時間を作ろうと月1回は本を買うことにしています。今や新しい本を買うとなると、Amazonを使ったりできますが、私は絶対本屋に行きます。ウィンドウショッピングをしていても同じなのですが、本屋ではあれも読みたい。これも面白そう。と目移りしてしまい、長居してしまうことが多いです。なにか勉強に関する本を買いに行くと、狙っていた棚の隣にある本に目移りして、この勉強もしてみたいと思ったり、自己啓発本を見れば、こうゆう人になりたいと思ったり。私にとって本屋は自分の思考を整理したり、理想を形作ってくれる手伝いをしてくれるところで、その空間の中で、「もう少し頑張ろう」と力をもらったり、逆に「なんでこんなにも何もできないんだろう」と落ちこむこともあります。私にとって本屋というのは、ネット以上に様々な情報を提供してくれる特別な空間になっています。

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本が読者の一部分を表しているのは、本は著者の主張や思考、経験が反映されて作られているからですが、その本の隣でまったく違う主張がされているのに、それが喧嘩することがないというのが本屋のいいところだなと思います。人同士だと喧嘩や否定合戦に発展することも少なくないのに。 当たり前ですが、 本は「声」を持っていないのに主張、思考が明確でありながら、それが混在し、お互いを否定しないというのは珍しい空間ではないでしょうか。隣で本を立ち読みしている人は自分が手に取ったほんと全く逆の思想の本を取っているかもしれないのですから、本の数だけ違う考え方があるんだから、自分が人と違うのも当たり前だと納得です。本屋に行くとなんとなく、自分が自分でいいのだと思わせてくれて、それでいながら、自分の進みたい道を見せてくれる気持ちなるから、本屋は心地いい空間なんでしょう。

「自分」という存在はひとつではなく、「他人」もひとつのものではなく、色んなものの複合体でできているんだと思います。  「自分はこうゆう人である」と言葉に出すと、自分を決めつけて縛ってしまうと、最近TVで言っているのを聞きましたが、自分はひとつではなく、流動的な存在だから、複雑さを楽しめるように、人生も本屋みたいに違いを知って、受け入れて、受け入れられて、「当たり前」も「普通」もないみんながみんなの違いを楽しめる余裕がある人になりたいな、と思ってます…

tsumiki

猫と旅行と食べることがすきな会社員。

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  1. t tatsut tatsu

    tsumikiさん

    記事、読ませていただきました。
    自分も子どものころから本が好きです。
    浪人のころ、ふと好き、という感情から
    畏怖、という感情に変わった瞬間があります

    特に、図書館のような静かでかつ
    本が並んでいるところにいくと
    作者の魂を感じてしまったのです。

    それぞれが意図すること
    つたえたいことそれぞれ
    違って、色々な形がある
    そのそれぞれの思いが、その空間に
    集まっていること
    そらが何より凄くて、怖くて
    かつ荘厳なんだ、と感じました。

    物を作る仕事人が魂を込めて
    生み出すように、著者もそこに
    さまざまな意図や目的、物語を
    詰め込む。そのそれぞれが集まった
    本屋、図書館っていうのは、いるだけでも
    人間観察できている気がして
    今でも好きです。

    感想、長々と失礼いたしました。
    ありがとうございます。