ぼろぼろの空(仮)

住人

自分が今、
普通に生きていることを
ふと、不思議に思うことがある。

だからと言って特に、今まで生きてきて何度も死にそうな目にあったとか、自分の命の危険を感じたことがめちゃめちゃあるとか、そういうことではないのだけど。

でも、だって、この世界って、なんなんだろう。

自分は、今、2019年を生きている人間だから、どうやって地球が始まったのか
ほんとにほんとに詳しく知っているわけではないけれど、
人間は最初は魚だったとか、いやそのもっと前はふにゃふにゃのアメーバとかそういうので、
恐竜の時代にいんせきが降ってきて海ができたとか、なんかおさるさんからだんだん進化してきたとかそういうのは少しは知っている。

だけどそこから、
今の私たちの暮らしとか生き方に、どうやったら結びつけられるだろうか。


ときどき、外にいるときに、気づくことがある。
周りを見わたすとそこには、”人間が作ったもの”しかない。

歩いているこの道も
電柱も
家も
ビルも、
道を走っている車や信号機
あのお店だって、神社だって、公園だって、
まぎれもなく、人間が作ったものだ。

そこにはもともと何もなかった。
なんーーーーーーーにも。
信じられないけど、ほんとになんっにもなかったんだ。

それに気づくときいつも、不思議な気持ちになる。

だってもともとここには、たくさんの草や木がもうそれはそれはわんさか生えていて、
動物が走り回っていたのかもしれない。
私たちの歩いているこの下にはもともと土が生きていて、
地球をあたたかくつつんでいたのかもしれない。
そう考えると、なんだかすこし、寂しい。
なんだか悪いことをしてしまった時のようなバツのわるい気持ちになる。

でも、
この道の素材はこれが一番いいとか、
電柱はこのコンクリートという素材で作ろうとか、
こうやってやったらこんなに高い建物が建てられるとか。
なんっっっにもないところから考えて、こんなものを作ってしまうなんて、
その果てしなくながーーーい道のりを想像すると、人間としてすこし誇らしくも感じる。
私にはきっとできない。

その、一見反対みたいな二つが混ざった、不思議な気持ちになるんだ。

そう考えるとやっぱり、その世紀の大発見や世界の大発明を
さも当たり前のように身近に感じながら使っている自分の存在とか、
当たり前みたいにどこにでも道がつながっているこの状況とか、建物が整然と立ち並んでいるこの当たり前の様子自体が不思議に思えてきて、
すごいものの上に生きているんだなあと、壮大な気持ちになる。

















でも





ある


ひとつある




変わらないものが、ある










空だ。






わたしの大好きな
大大大大大好きな、
空だ。
(空にちなんで壮大に改行してみました)




空はある。
ずっとそこに。
昼は太陽を、夜は月を抱きながら、
そこにある。

空はすごい。
青く光る昼も、赤く染まる夕方も、月が照らす夜も、星が輝く夜中も
そしてみんなが起きる朝も。
言葉で表せないほどきれいで、だれもの心を奪う。

どんなことがあっても、きれいな空を見ると
不思議と元気が出てくる。勇気がわいてくる。
空は偉大だ。
(お察しの通り今回は空をべたぼめする回です)





私は、ぼろぼろの空を見たことがない。


私自身は、ぼろぼろなことがたぶんきっとそうないタイプの人間なんだなということは、さすがに22年間生きてきた中で実感してきた。
でもまあ全くなかったわけではなかったし、
今思い出して
「ああきっとあの時は、ぼろぼろだったんだなあ」
と思う時期はいくつかくらいはある。
(こんな私でもあるのです。)

でも、私の記憶では、
その時見た空も、とてもとてもきれいだった。
それこそ、ことばにできないほどに。
きれい以外に何とかうまいことばはないかと思ったけれど、
そもそも空の方が私たちの知っていることばよりもずっとずっと先輩なのだから、ことばにできないのは当たり前だと思った。

そう考えるとそもそも、「そら」とかいって、勝手に呼んでいるのもどうなんだろうと思わなくはないけれど、「空」の響きも漢字の感じも好きなので、そこは都合よく良しとしたい。

僕らにどんなことが起ころうと
僕らがどんなにぼろぼろだろうと、
空はいつも、そこにいた。
時に残酷なほど美しく、輝いていた。

空を見て
自分の全部がこんっなにちっぽけに思えたり、
こころから嫌になってしまったり、
さまざまだけれど、私は何度も空に救われてきたように思う。


私はほとんど毎日、空の写真を撮ってしまう。
けれどそれは誰のためにとったものでもなく、
今日の自分の、この気持ちで見たこの空を、どうしようもなくとっておきたくなって撮るものだから、どこかに置いてみたりだれかに届いたりすることはほとんどない。
ときより公けにすることがあっても、それはきっと数十枚のうちの一枚で、一番のお気に入りではきっとないんだろう。

だけど私は前に一度、空の写真を撮ることをやめたことがあった。
空が好きで、毎日毎日好きなのに、
写真を撮るときと撮らない時があるのは、空に失礼だと思ったからだ。
自分ごときがその時の空の価値を決めているようで、とても申し訳ない気持ちになって、写真を撮れなくなった。というよりは、必死で我慢していた。

空には、好きだ、と思ったときに、「好きだ!」と伝えるようにしている。
だからそれなりに仲がよくて、大事な日はだいたい晴れる。
どうやら気持ちは伝わっているらしい。
(と思っている)
でも結局は我慢できなくなってしまって、また毎日のように空の写真を撮っている。おかげでフォルダーは空の写真でぱんぱんだ。

その代わり、
「好き」と「ありがとう」を毎日伝えるようになった。
最近はそれがうまく伝わっていないようで、機嫌が悪いことが多いけれど。
それでも好きだ。(しつこい)
私はまだ、青い空を隠してしまうくらいの曇りの日や、
雨の日だけはあまり好きになれていないけど、
好きになりたいとずっと、心から思っている。


珍しく、そして何よりわかりづらく
ぼろぼろになった自分を、幾度となく救ってくれた空だけど、
時にはぼろぼろな時があるのだろうか。
あんなに、あんなにきれいでも、
実はぼろぼろだったりするのかな。

もしそうだとしたらその時は、
絶対に自分が救いたい。と思う。
ほかの誰が気づかなくたって、私は気づく。
今まで言ってたことからしたらこんなことは最もおこがましく愚かな欲だけど、
救いたいなあ。空。
できないとわかっていてもやりたいと思うくらいには好きなんだ。(重い)


ただただ好きなんだ。どうしようもなく。
そうとしか表せないんだから、それでいいんだと思う。
だって空が好きだから、雨も好きになりたいし
好きだから、もっともっと仲よくなりたい。
他に理由があるのかと思ったけれど、
「好きだから」以外に、なにもなかった。

好きだから、好き。
それだけでいいんだ。

なにを言っているのかほとんどの人が分からないのではないかと思うけど、
私の頭の中は、いつもだいたいこんな感じ。
伝わらないことも多いけど、考えていて暇にならないし楽しいので、
これからもきっとこんな感じなんだろうと思う。

これも全部含めて上から見ている空は、
きっと私のことを笑っている。
『なんだそりゃ』って。
『ぼろぼろなことなんてないよ』って
言っているかもしれない。

だけどきっと、空は今日も私に優しい。
明日もあさっても、そのあともきっと。

だから私が見たい、
心から救いたいと思う空は、
今のところ(仮)のぼろぼろの空だ。
私にとっては、いたって切実なのだけど、
そこら辺はうまく伝わらないのが、空の難しいところであり
そしてまたなんとも言えない魅力なんだなと、
まんまと私は思ってしまうのである。

ほら、今日もまた
空はきれいで。
私はそれをまんまと撮ってしまった。



だからこれから先もずっと、
ずっと私は空が好きなんだ。





ちい

人と話すのが好きです!その人のことを考えるのはもっと好きです。自分の”好き”になりたい、と思っています。

プロフィール

関連記事一覧

  1. この記事へのコメントはありません。