信じること

住人

MGC(マラソングランドチャンピオンシップ)、終わっちゃいましたねー

陸上を続けてきた自分としてはどうしても見たいレース。ぼくはそれを学校のテレビで最後の2キロだけ見た。

というのも、部活があったからというのもあるが、単純にぼくの家にはテレビがないから。そんなぼくが普段家でお世話になっているのがアマゾンプライム。ふらっとちょっと昔のドラマで気になったのを見たりなんかする。

そんなこんなで、今回はそんなドラマから思ったことを。

最近たまたま見たドラマの中の一言でこんな言葉があった。




信じること それが一番の勇気



この言葉、ドラマの中でも「理想論だね」と一蹴されてしまう。ぼく自身も、一瞬、ドラマの中での綺麗事、と思った。

でも、よく考えると意外と考えさせられる言葉だなーと。

そう思った3つのことを。



まず、思ったのは今のぼくが携わらせてもらっている部活のこと。

今ぼくの携わっている部では県を4つに分けた、いわゆる「地区大会優勝」を目標にしている。しかし、はっきりいってこの目標は他のチームからすると夢のような目標だと思う。事実、うちのチームは昨年の夏はその下のもう一つ小さい地区大会の初戦で負けているようなチーム。でも、今年少し勝てていることからこの目標を生徒自身が掲げた。

ぼくはこの目標云々より、そうした目標を掲げられる生徒に純粋に可能性を感じる。というのも、ぼくが曲がりなりにも続けてきた大学での陸上競技の世界で、強い選手に共通していたのは「自分は強い」「結果が出せる」と思える、強い自己暗示力、あるいは思い込みの強さ。

そこまでとはいかないまでも、「信じることができるってそれだけでもすごいことかも」、そう思っていた時だったから、先の言葉に琴線が触れる部分があった。



二つ目は、宗教のこと。この夏、ぼくはインドネシアにいった。インドネシアという国はイスラム教が9割近くを占める国で、ぼくが滞在させてもらった場所でもほぼすべての人がイスラム教であった。宗教に疎いぼく自身、イスラム教と言えば、豚肉が食べられない、女性は肌を見せられない、一日に何度もお祈りをする、といった戒律が厳しい、というイメージがあった。そんなぼくがはじめに思ったのは「なんでこんなに信仰を大事にするんだろう」という疑問。しかし、一緒に過ごす中で感じたのは(何度も言うが、宗教についてちゃんと調べたり、勉強したわけでもない。なのに何を偉そうに、と自分でも思うが、一個人の考えとしてお許しいただきたい。)、「信じるものがある、ということの強さ」。「わたしはイスラームの神を信じている」「わたしはイスラームの戒律を忠実に守ってる」という思いが、なんというか、自分自身にとっての芯、軸とでもいうのか、教育的に言えば自己肯定感を持つことのような、そんなことにつながる、ということがあるのではないか、と。

三つ目は、ぼく自身のこと。今ぼくははっきりいってしあわせだと思う。それは、鶏が先か卵が先か、の話ではないが、ぼくが今「しあわせだ」と思っているから幸せなのか、今しあわせだからそう思っているのか、本当のところはわからない。でも、確かにぼくは今は、自分の今の状態を「しあわせ」と認識している。そして、これもまた「信じる」ことで得られている結果なのではないか、という気もしている。




「信じること」



簡単なようでいて、難しいな、と思う。あるときは信じられていたものが、ちょっとしたことから信じられなくなったり。それは自分自身に対してだったり、ほかの人に対してだったり。

でも、だからこそぼくは「信じること」を心掛けたい。

学校で生徒がどんなに宿題をやってこなかろうが、どんなに素行が悪い子がいようが、ぼくはいわゆる「性善説」に立って、その子を信じたい。自分に子どもができたとして、その子が無謀な夢を語ったとしても、その夢を信じてあげたい。難しいからこそ。勇気がいるからこそ。常に「信じよう」と心掛けたい。

あかっぱ

よく中学生に間違われます。「見た目はこども、中身もこども」な25歳です。

プロフィール

関連記事一覧

  1. ゆうりゆうり

    信じることって確かに勇気が必要です。
    わたしは結構猜疑心に駈られることが多々あって…でもこれは自分の弱さって、分かっているから克服したい部分でもあります。
    裏切られたら嫌だな、やっぱりこういう人だったんだ…とか、疑うことは簡単ですものね…。
    わたしも頭ごなしに叱らず、相手の気持ちを汲み取って信じていきたいと思います。気付くと「あー…(怒)」って職場で言っちゃうからな…ダメだ。
    自分を信じることも、まだまだわたしは出来ていない部分が多いので、少しずつ自分のことも、「今日はこれ頑張ったな~」とか認めていけたらと思います。

    あ。高校の時の地理の先生も、「人生に迷ってどうしようもなくなったらイスラム教信仰するといいよ~」って言っていました。戒律がしっかりハッキリしているから、分かりやすくて信じやすいんだそうです。あかっぱさんは現地に行かれて、それを体感されたんですものね。すごい。イスラム圏に行く勇気、わたしも欲しい。

    きっと、自分と関わってくれる人が自分のことを信じてくれるって嬉しいし、子どもたちも「信じてくれる先生を裏切らないように頑張ろう!」って思いそう。大人も然り。わたしもそう思ってもらえるような関わりを、仕事でもプライベートでも築いていけるよう努力します…!

    • あかっぱ

      ゆうりさん、コメントありがとうごさいます!
      そして、返信遅くてすみません

      自分を「信じる」、そうですね、そういう「信じる」もありますよね言われて初めて気づきました!
      それが「自信」なんですね!

      「信じる」、目に見えないし、硝子のようにすごくナイーブで繊細なものだなーって思います。
      ぼく自身も、すごく自他を「信じる」が苦手だからこそこうして意識し、書くことで決意してるなんだなーと思います。

      高校の地理の先生の話もありがとうごさいます!
      宗教はただの知ったかぶりですが、そういってもらえるとありがたいです!