スイカを割るように文章を書く

住人

なんとなく、今回の記事は進まない。
上手く書ける自信がない。書いても書いても「これじゃない感」がすごい。
たびたび、ひょこっと顔を出す「これじゃない感」。ひとたびこれに捕まってしまうと、書いては消しての無限ループになっている。困ったやつだ。

ああ、わかった。今日はその話にしよう。

わたしは文章を書くのに時間がかかる。授業後のリアクションペーパーやテストの自由記述欄はいつも時間内に書き終わらず、6割行けば万々歳だ。思考のふわふわを捕まえるのに、とても時間がかかる。
ふわふわが飛んでいるのはわかるんだけど、それが何色で、どんな大きさで、自分からどれくらいの距離のところにあるのか、とか、今日は全然わからない。
「今、わたしは何を考えているんだろう。」からスタートして、思考のふわふわを見つけて、言葉にする。そのふわふわと、言葉がぴたっと合う瞬間がとても好きだ。でもぴたっと合わないと、いつまでも「これじゃない感」に捕まったままだ。

最近、使う語彙も話の流れも固まってきてしまって、自分で書いていて面白くないなあと思う。わたしは、今日の自分の文章に納得がいっていないし、そろそろ自分の言葉に飽きている。
自分でも文章が自分の1番の表現方法だと思っているし、運のいいことに周りからもそう言ってもらえている。文章を褒められるのはとっても嬉しい。そういえば、小学生のころから作文は得意だった。

でも、何かが物足りない。気づくと、いつもと同じテンプレになっていて、抜け出そうとしてもその出口が全然わからない。
そう思うといよいよ全く書けなくなるな。えーやっぱり今日は書けない日だなあ。ふわふわを言語化できない自分にだんだん腹が立ってくるな。

昨日友達が「自分のことを言語化できない自分がいやだ。」って言ってたのを思い出した。今わたし、それだ。

何かで見たけど、SNSは自分の見られたい姿が反映されるらしい。このおどりばもそうなのかな。そんなこと、考えたこともなかったや。
でも今日は自分が何を考えてるかわからない。いやでも「自分が何を考えているか」を考えていることは分かってるのか。ぐるぐるしてきたぞ。
卵が先か、鶏が先か、みたいな話だ。

文章を書くって、スイカ割りみたいだと思う。めちゃくちゃ季節外れだけど、でもそう思ったんだから、きっとそうなんだ。

目隠しされて、ぐるぐる回って、音だけを頼りにスイカに向かっておそるおそる一歩ずつ踏み出す。言語化の作業もきっとこれと同じ。目標物の場所はよくわからないけど、なにか自分の中の特別な感覚を頼りに、言葉にしたいふわふわにより近づいて、スイカをぱかっと割るように、ふわふわを言葉にする。

あ、でもあれはスイカを叩き割ってるな、叩き割っちゃ困っちゃうんだよな。スイカを見つけたら、棒で叩き割るんじゃなくて、目隠しを外して、スイカについた砂を払って、まな板に乗せて包丁で丁寧に切り分けたい。そして、おいしいねってみんなで仲良くスイカを食べたい。

でも叩き割って、ザラザラに砂がついたスイカをみんなで笑いながら食べるのも悪くないな。全然違う方向に歩いて行って空振りしても、それはそれで楽しい。「なにやってんだよー」と言いつつ言われつつ、みんなで大笑いする時間も好きだ。

たまには、きれいな言葉に収めてしまわないほうがいい時もある。

ポジティブな意味の「これじゃない感」もある。

心が動かされることがあって、既存のありふれた言葉で表してしまうのがもったいないような。言葉にすると安くなってしまうような、だからあえて言葉に当てはめることはしない、そんな意味の「これじゃない感」。

思考や感情を、できるだけ本物に近づけるように言葉を組み合わせる作業が好きだ。

わたしの脳内から「これじゃない感」が消えたら、きっとわたしは文章を書かなくなると思う。文章を書かないわたしは、もはやわたしではない気がする。それくらい、わたしにとって文章は切っても切り離せないもの。

言い尽くせない自分の思考や感情に対峙する時間はとても居心地が悪くて、わたしをいらだたせる。しかし、それと同時にわたしを「わたし」たらしめるのだ。

わたしはこれからも、「わたし」と「文章を書くこと」と生きていく。

さと

本名です。この名前、自分でも気に入ってます。 薬屋にいるオレンジのゾウもサトちゃん。

プロフィール

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  1. おてあらい花子おてあらい花子

    前半、自分が書いたんか?と思いながら読んで、誰が書いたんだろ?とおもったら今日は18日だった。

    すごくわかります。
    わたしもいつも頭の中にふわふわ考えごとが浮かんでいて、それを捕まえてくるのにとても難儀する。。
    頭の中で漂ってくれてるぶんにはいいんだけど、先生や友だち、不特定多数の誰かに見せるとなると、ふわふわをある程度伝えやすいかたちにして渡さなきゃとなってしまって、自分の納得のいく文章ができるまでこねくり回してしまう。
    そうして自分の納得のいったところが「みんなに見せたい自分」なのかなぁと読んでて思ったよ。それか「自分の好きな自分」?

    それにしても、「これじゃない感が拭えなくて、記事が書けない」というスタート地点からこれだけの文章がかけちゃうさとちゃんは、なんかもう、その時点で一生書くことと生きていくのだろうなあと感じたよ。
    またゆっくり話したい!