十中八九な人生の目次。
おどりば、10号室のてぃーたつです。
10をテーマに何回か書いてきて、前回は違うテーマで書いてみたけど、今回はやはりまた十にもどってきた。
僕の人生は、まさに、
十中八九
と言う言葉が似合うものだと考えている。多分、言葉の使い方としては間違っているんだろうけど。
これまでの人生で、一番なりたかった自分は、「何でもそれなりにこなせる人」つまり、大体の物事を、十中八九でこなせる人になりたかった。
僕は、好奇心旺盛で、なにごとにもきょうみをもってしまうから、なんでも試したくなってしまうし、何でもある程度うまくいかないとすごく気に入らなくて、自分が嫌いになってしまいそうなほど、自己嫌悪に陥る。何をやってもうまくいかない、何をやっても長続きしない、それは、すぐに結果を求めてしまう自分がいるからだと、今だから思う。負けず嫌いだから、なおさらうまくいかなければ、没頭してしまうんだけど、その間に見えてきた物事にまた興味が湧いて、どんどんと沼にはまっていく。
全ての物事が、完璧にではなくてもうまくいきたい。それが私のなりたい自分、だった。今も、心の中ではそう思っているのかも知れない。今から興味を持つことも、興味を持っていることにも、本気でぶつかりたい。けれど、本気で何かにぶつかることというのはきっと、何かを犠牲にしてようやくえれるものであって。例えば何かのプロなんかは、青春や自分の時間全てをその物事に捧げてようやく、その成功を掴む。センスを花開かせる。そのためには膨大な努力と時間が必要なんだ。
それを、持ち始めた好奇心だけで、
それを越えようとしたがるわたし。
欲張りだし、それだから、十中八九な人生になる。だいたいまでいけるけど、そこから先がない。そんな人生。僕の人生。自分はそれで幸せだったのかもしれないけど、大人になって、自分の武器を試す場に出たときに、それって結局何も得ていないじゃないかと、痛感する。
資格もなければ強みもない。ある程度満遍なくそれなりに色々な経験をしているだけ。そんな僕だった。
おどりばで、まだおどりきれているのかは果たして自分でもわからないのだけれど、その模索中の自分の残像をここに、刻んでいることはたしかだと思う。その時の自分は、八割なんかじゃなくて、全身全霊で自分と、おどりばと、社会と、住民と、向き合っている。
何事も中途半端な僕が、そうでなくなることができる場は、ここ。百パーセントを出してすことが怖いなんて思っていた僕の心が、自然とほどけて入れる場所。これからの僕の人生は、一つ一つにしっかりたっぷりと時間をかけて、僕を完璧にしたい。そのために、このおどりはで、ステップを踏ませてもらっているんだ。きっと。
10のうちの1から始まった僕のおどりば。10になれるように向き合えるようになってきた僕。8か9を求めて何事もやってきてしまった僕。完璧になんてなり得ないのかも知れないけど、自分が自分たるように生きることをしたい。それにはやっぱり、とことん突き詰めて楽しんでいくしか方法はないのかもしれないね。
すごい、を求めている人の話、おどりばでおどれない人の話、哲学の話、料理、ちゃちな自分の話…たくさんのおどりばをみて、聞いて、体感して、体験して、やっぱりそれぞれのオリジナリティはすごいと思うし、自分以外の人の才能や人を惹きつける魅力的な文章に、時には嫉妬してみたりもする。
僕には僕しかできないことができているのだろうか。そんな問いがいつも、心の中を渦巻いている。誰かのための、生きる理由になれているのだろうか。毎日だって思い悩む。
でも、今度こそ、10を目指してみせる。そのためのステップを、ここで踏んでいる。きっと、きっと。
これからの目次。
30 幸せ
40 管理
50 人生を謳歌
60 余暇
70 準備
80 終焉
10のうち.8や9にしかなれなかった僕の、ささやかで大雑把な人生の目次。おどりばでおどりながら、実現できるように。
てぃーたつでした。
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