福沢諭吉のお膝元で
月の半ばから終盤に引っ越ししました、さらみです。
一ヶ月のまとめ的な意味合いを求め、15号室から26号室へ引っ越ししました。
改めてよろしくお願いします。
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2020年。やっと、ついに、この年が来た。来てしまった。
4年前から準備していたことが、やっと本格始動する。
頑張ったことなんて一度もなかったでも書いたけど、僕には「短腸症候群」という病気がある。
一生治らないと言われていて、一生つきあっていくだろうと覚悟するレベルの病気だ。
けど、4年前。
1つの、最後の、最新の話が入ってきた。
小腸の移植
このことを聞いた時、自分の中ではいくつかの思いが生まれた。
・・・ 移植のリスク(成功率、定着率、費用)
・・・ 初めての上京 一人暮らし
・・・ 最悪 30手前で無職
・・・ 自分の性質との兼ね合い(多分ブレーキ効かない
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移植のリスク
小腸は、人間が口から入れた食べ物を吸収し、エネルギーに変える器官。
通常6mあるものが、僕には30センチもない。
毎晩自宅で1000kcalの点滴をしながら、生活をしている。
その点滴は、心臓に直接入っている。
1日でも点滴をしなければ、倦怠感がひどい。
「でも生きられてるんだから、普通に生活できるんだから良いじゃん!」
という人もいるかもしれない。
ただ、忘れかけていた「冷たさ」でも書いたけど、割と簡単に死にかける。
昨年も2つ上の同じ病気の人が亡くなった。
段々生きられる病気にはなってきたが、それは対処療法が進歩したからでしかない。
たとえるなら、全身がスライムに埋まり、口と鼻だけ外にでていていつ崩れるかわからない足場に不安定に立っている感じ。
「明日どうなるかなんて誰にもわからない」と言うけれど、イメージするなら毎日通る道を時速80キロで走る車が必ず横切る感じ。
「普通に」生活するだけでも、リスクだらけ。
そんな病気。
「長くは生きられないだろうな」
漠然と小さい頃からそう思っていた。
そんなとき、小腸移植というキーワードにであった。
ただ、この治療。かなりやばい。
何がやばいかというと・・・
今まで全国で実施された件数は累計27例(一社 日本移植学会より)
2019.9.30現在で、小腸移植の待機登録者数は6名(日本臓器移植ネットワーク)
(臓器移植ネットワークの最新のリーフレットでは18例となっている。理由はわからないが、数的に生体か脳死かどちらかの数なのではないかと)
累計、です。
ある年の合計、ではなく。
小腸移植そのものが国内で27例しか行われていない。
ちなみに他臓器はどうか。2017年中に実施された各臓器の移植件数
腎臓1742
肝臓416
心臓56
肺66
膵臓42
小腸に至っては1年に一例も実施されていない年もあり、臓器単独移植ではダントツに低い数値だというのがわかると思う。
それもそのはず、なんとこの治療2018年まで保険適応になってなかったのだ。
数千万円がすべて自己負担。
お金持ちの治療か、借金をして受けるような文字通り人生をかけた治療だった。
運良く成功したとしても、医療費を支払い終わる頃には、老化による身体的低下が待っている。
若く、元気に過ごせる時期を経験しないまま、死を迎えることになる。
お金と反比例するかのように、成功率は高くない。
データそのものの母数が少ないということもあるが、5年生存率は73.2%。10年生存率は51%。
これも臓器の単独移植では最も低く、移植後の定着率(移植した臓器が体に定着する確率)は65.1%。(2018年までのデータ)
小腸は体を維持するための吸収機能の他、腸内細菌や免疫にとっても大事な機能を果たすので、拒絶反応が他の臓器よりも強く出る。
拒絶反応を起こすと命にメチャクチャ直結する。
「やべえよ?これマジでやべえよ?リスクあるよ?本当にやるの?」
今まで病院で散々脅されました。
移植手術そのものや、術後管理ができる病院も全国で数えるほどしかない。
東北大、大阪大、九州大、慶応大、名古屋大などの大きな大学病院だ。(実績のあるところは全12施設あるが、実施期間が何年も空白になっているところが多い)
僕が実施するのは一番近い、慶応医大。
初めての上京 一人暮らし
ドナーが決まりましたよと電話がきて、話を受けるか決めて、48時間以内に病院へ行って移植して、そこから1年近く病院近郊に住みながら経過をみる。
おりしも、7号室のうめこさんと同じ年に上京するかたちになる。
実は、一人暮らしすら初めてです。
正直、移植そのものより、こっちの方が不安すぎる。
今、月に一回は東京へ行き、物件を探している。
誰か東京の物件に詳しい方、教えてください!!
最悪 30ちょい過ぎで無職
「その間お仕事どうするの?」
———良い質問です。むろん、お休みします。
3年前に1年半お休みした。
残ってる休職期間は1年半。
こんなに福利厚生が恵まれている仕事が他にあるだろうか。
順調にいけば無事復職!万々歳!
だが、今までの自分の治療経過を見ると、スムーズにいけた試しはほとんどない。
うまくいかなかった場合、30代前半で仕事を失う。
特に何の技術も知識も経験もないまま、30代無職。
単純処理の仕事が次々となくなっていくこのご時世。
ニート一直線。
はい!お疲れ様でした!
人生しゅーりょーです!!
いやーベリーハードモード。我ながらよく生きたよ!やったじゃん!
今度は健康体に生まれ変わりたいね!
・・・まじめな話、今回の治療がうまくいかなくて、仕事なくしたら、僕は自分自身を許せないだろう。
「生きているだけで価値がある」
—–耳にたこができるほど聞いた言葉。
手垢のついた人権擁護の言葉は、のっぺりとしたプラスチック板のような印象しかない。
「イキテイルダケデ カチガアルヨ」
「そうですね。ありがとうございます」と笑顔で言いながら、
「チイキノタメニ」みたくひねくれてる。
・・・少し逸れてしまった。
自分の性質との兼ね合い
ただ、悲観なことばかりではない。
むしろ僕は、今回の治療に希望を強く感じている。
治らなかったものが、治る
成功すれば、今の生活は激変するとドクターに言われた。
毎晩点滴を繋げなくても良い。
いつ危ない目に遭うかという無意識の恐怖心から解放される。
どこへ行くにも点滴を持って行かなくても済む。
そう思った瞬間、次々とやりたいことがでてきた。
今まで無意識に諦めていたことが、わんさかと。
海外行ってみたい。
いろんな勉強してみたい。
いっぱい失敗しながら成長したい。
20代に体験できなかったことを全部したい。
自分でもびっくりするぐらいの「やりたい」がたくさんでてきた。
それは多分、体を使わないとできないこと。
性質的に、自分が多動なのはよくわかっている。
今までは病気がある意味でブレーキになっていたのだが、それが外れた瞬間、自分はどこかに行ってしまうか。それとも、もちまえのチキンさが発動し結局現状維持か。
でも、今の自分は”挑戦”してみたいとワクワクしている。
さらみという人間が、どれだけ楽しく一生を過ごせるか。
よくわからないけど、楽しみ。
ドナーが決まり次第、おどりばでの文章が闘病記録になるかもしれない。
それはそれで、またなんかおもしろいじゃないか。
さらみ30歳。
三十路に入り込む節目の年に、自分の人生かけた大勝負にでます。
折しも、病院があるのは信濃町。
長野県に生まれ育った自分からすると、名前に縁を感じる。
そして、国立競技場がある街。
いくつものドラマが巻き起こるであろうドームと歓声。
今から楽しみじゃないか。
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