10個の質問と、その答え。(後編)

住人

Q6.未来の私に、望みはありますか?

A. あります。望みしかありません。

私は、あなたが過去にしでかしてきたたくさんの過ちや、たくさんの後悔、選択、様々な葛藤を見てきました。その一つ一つの分岐点の際に感じた想いも、怠惰も、全てを聞いてきました。自業自得ですが、時にはその選択によって招いた未来を非情なものとしてみたこともありました。また、あなたが過去にしてきた善行も、全て覚えています。辛かった過去に光を与えた人がいること、あなたがいなければなし得なかった結果を生んだ仕事、その一つ一つの全てが、あなたです。経験は必ず糧になります。それが良くも悪くも、あなたを成長させてきました。どのようなタイミングで何が起こるとどうなるか、もうあなたならお分かりでしょう?未知の分野や領域に羽ばたこうとしているにしても、人間の世界です。起こり得ることは言葉で説明がつくことが大半です。その折に、あなたはもう、どのように立ち振る舞うべきかわかっているはず、いえ、どのような状況であっても、あなたがあなたを失わなければいいのです。

一番望まれていないのは、あなたが、あなたを抑えてしまって、本来の力や努力を発揮することができない、ということ。そして、人を笑顔にすることができない、ということです。

未来、は、あなた自身です。

問うまでもない。道は、あなたです。心配しないで。しっかり進みましょう。幸せ、になりましょう。あなたが全てを紡いでいきましょう。周りの意見や見方などは関係ありまさん。なぜなら、それはその人が経験することでもなければ、その人に与えられたタスクでもないからです。

あなた次第で、全てが築き上げられる。だから、望みしかない。走り出しましょう。まずは明日に、向かって。そして、今日を最幸、最上のものにしましょう。その積み重ねこそが、未来です。

Q7. おどりばにはいって、変わったことは

ありますか?

A. はい、あります。

まず、自省の時間が増えたことです。マルクスのかつての自省録のように、…たとえば、内を見てロゴスとの関係を論じたり、エピクロス派の原子論などのバックボーンに基づいていたり…までとはいきませんが、私にとって、生とは何か、死とは何か、前よりもプラスの立場で見ることができるようになりました。というのも、ここの住人たちの記事と、魂と、生き様と触れ合うことによって、” only one ” の意義に、気づけたからです。

それぞれに生まれ育った環境も異なり、経てきたものが違う中で、おどりばの概念や場所そのものに共感し、共に ” 住む ” ことになった住人たちは、それぞれが葛藤し、それぞれが本当に様々な分野で活動し、生活を成り立たせている、その人をその人たらしめています。その幅はテレビから地元紙、雑誌、ライター、共同経営、教育等まさに様々で、それぞれが様々な思惑を実現し、我慢し、また時にはその自分と内面とのギャップにおどりばで立ち止まったりしながら、それぞれの住人としての人生を全うしています。それまでの私は、何かのパトロンを目標として、それになろうとしていました。存在していたものになろうとすることは難儀ではありません。モデルに沿った生き方をし、モデルに沿ったやりかたで歩けば、少なからずその土台の暮らし方に到達することはできるからです。しかし、ここの人たちは違った。それぞれが青い芝生を見ながらも、それぞれの歩みを確実に進めている。自分がどうなろうか、どうあるのか、もがきながらも確実に自分らしさを大成している。そんな姿に、嫉妬してしまいそうになるほど、自分も感化されました。

私は、私のままだいいのだ、と、改めて思わせてくれたのは、おどりば、でした。人たちが輝いて見えて、その先にたどり着く未来の先々が本当に魅力的で。

つまり、おどりばにはいって、私は、自分を信じることができるようになりました。自分を他に、いえ、共通のスペースに晒すことで、なお自分の生き方をかえって見つめ直すことができた、ということになります。

Q8. 今、欲しいものはありますか?

A. 良い影響力が欲しいです。

良い、とはまた相対的な概念で、人によっても様々であるし、必ずしも自分が良い、と思ったことが良い訳ではありませんので、なかなか大変なところではあります。が、結果として自分が存在することによって、その人の人生において何かしらえるものがあって欲しいのです。

たとえば、あなたが過去にした過ちにおいて、嫌だなと思った人がいるのであれば、その人が私のような人とはもう関わらない、と思ったとすれば、その人の人生における生産性があがります。というのも、無駄な力を、時間を無駄な人に費やすことは最も大きな損失だからです。本来であれば、自分が合わない、自分に必要のない、と思った人や環境があれば、そこから遠ざかることこそが人生を変える契機なのだと思います。だから、もし、私がしてきことによってそう思った人がいるとするのであれば、それを生かしていただければ、それすらも幸せです。

また、私が投げかけた言葉やした行動によって、それは良いからもっとやってみよう。とか、良かった、嬉しかった、と思ってもらえることがあるのであれば、それはこの世界で最も幸せなことだと思っています。わたしが、オンリーワンでいるためには、わたしにしかできないことを成立させる必要があります。それが成し得た瞬間には、生きてて良かったな、と改めて思うことができるのだと思います。また、それが増えていくことが、これからの人生の目標。と言っても過言ではありません。

わたしといることで、生活が変わるひと、考え方がマイナスからプラスになるひと、汚かったものが綺麗になる、悪かったものが良くなる、といったように、連鎖的にわたしが私の周りをどんどんと、正の連鎖でつなげることができるようになりたい。だから、わたしは、良い影響力、が欲しいと思っています。



Q9. 今からしたいことは何ですか?

A. 社会貢献をしたい、です。

が、そのためにまず土台となるのは、自分の身の回りを、しっかりとさせること。そのためにはまず、自分がしっかりしないといけません。日進月歩、自分がなりたい自分になるために、毎日努力を重ねていきたいです。

毎年、資格資格と言っていますが、今年もそれは変わりません。今は少し疎遠になってしまった友人とも約束をしました。死ぬまでお互い高めていこうと。口だけでもいい、そうやってお互いを鼓舞できる存在が近くにいることは、とても大きなパワーになることです。そして、わたしが考える、わたしなりの暮らし向きで生活できるように、日々精進していきます。

働く、とは自分が生活を成り立たせるためにまず行うものですが、その欲求が高くなればなるほどおそらく、小さな目標実現では止まらなくなっていくと思います。そのとき、それに向けて努力し、試行錯誤し、楽しんでそれらを行う瞬間におそらく、社会に貢献できる力を養えるのだと思います。果たして、自分が行うことが貢献になるのか、それこそそれ個人の好みや見方違いによりますが、僕が信じた道を生きる、そのことで成し得ることがある、ということを、少しでも証明できるのであれば、それこそ幸せなことです。

Q10. 生きていてよかったですか?

A. よかった。と胸を張って言えます。

正直に言えば、死ぬことは怖いです。うつ病になったときも、希死は消えませんでしたが、その先にある恐怖と向き合うことでまた、自分の弱さを実感しては、という繰り返しになったこともあります。また、身内の死を目の当たりにして、より生への希望ややらなければいけないことへのフォーカスが始まって、また責務も感じたりしています。

コンプレックスの塊であり、また自分が周りを比べてしまって卑下することもたくさんあります。もっとこうならよかった、もっとこうでなければ成し得ない、なんて思い込むことだってあります。それでも、私が私としてここまで得てきた経験値やしてきた経験は、むだにはならないはずらむしろこれからの私を私たり得るために、必要なことだと、今では思うことができます。そのために、おどりばでの時間も、こうやって自分の存在価値を再認識して、また不足なこともたくさんゲットして、これからの時間に生かすことができます。

この世界に、わたしが生まれた意味は、きっと他人から付与されるものではなく、自分自身で見つけるものであると、最近ようやく思う事ができるようになりました。その意味は、まだ明確には見つかっていません。ですが、それを見つけるための旅に出れた、という奇跡を考えるだけで、人生が少し楽しくなってくるような気がするのです。

死後の世界、があるのか無いのかは、その体験した人にしかわかりません。その日が来るまで、わたしがわたしであってよかったと思える生き方を、追求したい。生、という不可思議でさまざまな道を選ぶ事ができる現象下にいれることを、心からよかった、嬉しい、と思います。

毎日が、それぞれの人にとって、それぞれの数字にとって、それぞれの住人にとって、最高なものになりますように。

明くる日を毎日そのように過ごすために、それぞれの選択の正解を求め続けていく。そんな繰り返しの中で生まれていく秩序や概念。社会とはすごいな、と思います。

その社会の一端に、私という存在が何を残せるのか。またさらに深考して。

明日に、おかえり。って言ってあげれられるように。

10号室、t tatsuでした。 ごきげんよう。

t tatsu

山梨在住。あっちいったりこっちいったり、浮き沈みの激しい人生。音楽、本、映画やことばを好みます。多趣味多忙が代名詞。 …「あたりまえ」のことは、そうでもない...

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