『オン・ザ・ロックで召し上がれ』

住人

お休みの朝。5年前に亡くなった母が死んだと見せかけて実は生きていたという残酷な夢を見た。そうだ、今日は母の誕生日だ。という話を寝起きのパートナーにした。「今日はどうする?」いつも通り、温泉入って映画かな…なんて考えていると「お墓参りにでも行く?」と提案してきた。お墓参り行くなら5月の命日がいいな…でも多分その辺りは忙しいだろうな思ったので、お墓参りに行くことにした。ガソリンを入れて、朝マックを買う。ソーセージエッグマフィンにハッシュドポテトは2つ。いざゆかん、茨城。

アカデミー賞の結果にそわそわしながら向かう。道中のBGMは、アトロク。Ms.メラニーのアカデミー賞予想の回。Twitterで結果を追いつつ、予想を聞く。『パラサイト』はどうか、『ジョジョ・ラビット』はどうだろう。ソーセージエッグマフィンを頬張る。あ、『ジョジョ・ラビット』が脚色賞獲った。運転するパートナーに、逐一アカデミー賞の結果を報告する。メラニーさんの予想も聞き終わり、無音の車内。

山がだいぶ遠くなってきた。ああ、今年の5月で母が亡くなってもう5年も経つのか。時の流れを感じる。昨日のことのようにも思い出せるし、10年くらい前のようにも感じる。母が亡くなってから時間の感覚が歪んでいる。サルバドール・ダリの『記憶の固執』って絵画のイメージに近い。あ、利根川。もうすぐ前橋。

母について思い出す。昔おどりばに投稿した『お葬式を黒字にしたい』という記事は、母の葬儀で得た気付きについて書いた。56歳。長い長い乳癌との戦いの末、5月の爽やかな日、彼女は安らかに眠った。母が死んだ。病室でもう息をしていない母を見て、思ったのは「お疲れ様」それだけだった。それだけ思って、私と弟は病室の片付けを始めた。長い入院生活。母の心を和らげるために持ち込まれたぬいぐるみ、本、DVD。それらを箱に詰めて、車に載せた。私も弟も泣かなかった。泣けなかった。淡々と、ただ淡々と片付けて、看護師さんたちにお礼を言って家に帰った。葬儀屋さんと父と、葬儀や諸手続きについて打ち合わせをした。母の友人たちに片っ端から電話をかける。私と母の声はとてもよく似ていると言われた。弟が「姉ちゃん、俺なんて言っていいかわからない」と言った。「俺、友達に母さんが病気だったこと言ってないんだ」胸が痛んだ。この子は、ひとりで抱え込んできたんだ。弟の友達は私もよく知ってる。だから、「正直に言ってごらん。君の友達ならちゃんと受け止めてくれるよ」と言った。それからどうしたっけ。

記憶の中に潜り込みすぎてしまったみたいだ。気が付くと栃木県佐野市に入っていた。佐野ラーメン食べたい。地元に映画館が無くなってから佐野の109シネマズによく映画観に来たっけ。佐野、羽生、蓮田…見慣れた地名が看板に現れ始める。佐野SAで休憩。「佐野ラーメン食べたい」と言うパートナーに「我慢して」と窘める。さっき自分も佐野ラーメン食べたいと思ったのにね。でもお昼は決まってるから。あ、筑波山が見えてきた。平野育ちの私にとって山といえば筑波山。遠くに山影が見える程度の山。上田とは全く違う景色。空が広い、平野の景色。私はまだこちらの方が安心する。

最寄りの道の駅でお花とお線香を買う。Twitterを見ると、アカデミー賞作品賞に『パラサイト 半地下の家族』のニュースが飛び込んできた。やべぇ…『パラサイト』…もはや、頭の中がアカデミー賞でいっぱいになった状態でお寺に到着。お花を生けて、お線香に火をつけて、手を合わせる。

「お母さんへ。私はあなたの死を5年かけて受け入れてきました。今更実は死んでなかったなんて残酷な夢をみせないでください」

人はなぜお墓参りをするんだろう。だいぶ前に流行った歌に「お墓の前で泣かないでください そこに私はいません」って歌詞があったけど、それな。お墓にあるのは骨だ。火葬して残った骨を拾った。骨壺に入れて納骨した。だから、あそこにあるのは骨だけなのを私は知ってる。にも関わらず、そこに母がいるかのように話しかけてしまう。なぜなのか。お墓というのは、きっとスイッチのようなものだと思う。自分の中にある死者と対話するための装置。そこにある骨に話してるのではない。そこにあるかもしれない魂という不確実なものに話しかけてるのではない。お墓というスイッチを通して、自分が抱える死者の記憶と想いを吐き出すのだ。きっとそう。少なくとも今の私はそう考える。

私は母が死んですぐには泣けなかった。泣いたのは通夜の後、知人が寄せてくれた手紙を読んだ時だった。でも、それはその人の優しい心遣いに泣いた気がする。母が死んで悲しいと思って泣いたのはいつだったのかはもう覚えてない。母の死後、色々ありすぎて本当の意味でその死を受け入れられてなかったと思う。まだ病院にいる気がしてた。しばらく会えないだけだと思っていた。その死を受け入れられたのは、4度目の命日だったと思う。お墓参りに行って、唐突に、あまりにも唐突に「あ、もう母はこの世にはいない」と思った。そう思ったら涙が止まらなくなった。しばらくお墓のそばで泣いた。泣いて泣いて、お腹空いたなと思ったら涙が止まった。それから帰りにばんどう太郎の味噌煮込みうどんを食べて帰った。今日も味噌煮込みうどんを食べて帰路についた。お墓参りをしたらばんどう太郎の味噌煮込みうどんを食べて帰る。それが恒例になっていた。佐野ラーメンは魅力的だけど、やっぱり味噌煮込みうどんなのだ。母が愛した味。あとシンプルに美味しい。上田にもできないかな、ばんどう太郎。

運転するパートナーに、「ごめん」と謝って少し眠った。目が覚めると山々に囲まれてた。帰ってきたなぁ。上田に着くと雪がちらちらと舞っていた。馴染みの店で晩ご飯を食べて、別所温泉へ向かった。氷灯ろう祭り。そう言えば、夜の別所温泉て初めてだ。あ、すごい、綺麗。柔らかなオレンジ色の光が北向観音への道を照らしていた。氷灯ろう初めて見た。氷の中を覗くと蝋燭の火がゆらゆらしている。体が冷えてきたので写真撮影もほどほどに北向観音を後にした。

朝からちまちまと書いてきたこの文章を読み返す。事象、心象、目に見えたもの、朝から夜という時系列の中で過去と現在を行き来してる。この文章からトピックを抽出して、広げてみたら面白いものになるのかな。例えばなぜ人はお墓参りをするのかについてフォーカスしてみたりとか。やらないけど。この文章は何かで割ったり、足したりしない。ごちゃごちゃしてる、取り留めのない文章だけどなんだか嫌いになれない。

オン・ザ・ロックで召し上がれ。

しえさん

どこかの映画館にいるような、いないような人。被り物はもういらない。

プロフィール

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  1. ニルン

    読みました。

    読んですぐに書いたので取り留めないですが

    弟さんの友達に言えなかったというとこで涙が流れました。私は両親を亡くすとどうなるかまだ想像もできないけど

    お墓参りで、亡くなった人とのコンタクトのスイッチはすとんと納得しました。
    私も区切りがついたらお墓参りしたいです。

    アカデミー賞の話や茨城県の話など、時事や流行りの話など私は面白かったですよ。

    本麒麟と冷奴でいただきました。