別れ

住人










ぼくは「別れ」が苦手だ。







小学生のとき。離任式のあと家に帰るといつもノートに「お別れ」する先生一人一人との思い出をページいっぱいに書き綴った。そうしないとその先生との思い出がなくなってしまうような気がしたから。

教育実習の最終日には、それぞれの子にメッセージを送らずにはいられなかった。それぞれの子のため、というより自分自身がそうせずにはいられなかった。

にもかかわらず、3度あった教育実習での「お別れ」では涙は出なかった。ひとりの子からあとでいわれた「先生を泣かせたかったな」という言葉が今でも心に残っている。

















祖母が先週なくなった。




ずっと入院生活を送っていて日に日に眠る時間の方が長くなり、弱っているのはわかっていた。いつかはいなくなること、お別れをしなければいけないことも。

そして先週の金曜日。もともとその翌日から駅伝で県外に出る予定だった。しかし、母親から「おばあちゃん、点滴が入らなくなってきた」と言われた。母親の話では「4~5日は大丈夫」と言われたこともあり、大会後に一度会いに行こうと考えていた。









しかし。

日曜日の大会後。自分のレースが終わってスマホを見た。

母親からメッセージがあった。
















「おばあちゃんがなくなった」




唖然とした。

ぼくは駅伝に出ていてよかったのか。

自分のことを優先した自分に後悔もあった。



「あのときやっぱい駅伝ではなく会いに行けばよかった」

「こうなる前にもっと何度も会いに行けばよかった」



と。










そうして駅伝から帰ってきてからすぐに実家に帰って祖母に会いに行った。

そこで線香をあげながら親から言われたことにはっとした。




「おばあちゃん、朝の5時から5時間頑張って亡くなったんだよ」と。






5時から5時間。つまり、10時。










ぼくがちょうど駅伝をスタートした時間。










祖母がぼくの走る姿を一目見てからむこうにいったように感じられてならなかった。



我ながら自分勝手な考えだと思う。














「別れ」は時に突然だ。


いつもいつも自分の思った通りの「別れ」をすることができるとは限らない。

特にぼくはなにかと「別れ」の場面で上手く「別れ」をすることが苦手な星に生まれたらしい。




この1年間。たくさんの出会いがあった。しかし、出会いがあれば同じだけ「別れ」もある。

3月は「別れ」の時期。



また一つの「別れ」が近い。


あかっぱ

よく中学生に間違われます。「見た目はこども、中身もこども」な25歳です。

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