あたりまえの先に。
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「あたりまえ」とは?考える日々。
そろそろ慣れてきたのか、ダレてきたのか。
まさに人ぞれぞれ。
あたりまえ -まへ [0] 【当(た)り前】
( 名 ・形動 ) [文] ナリ 〔「当然」の当て字「当前」を訓読みした語〕 ① だれが考えてもそうであるべきだと思うこと。当然なこと。また、そのさま。 「困っている人を助けるのは-のこと」② 普通と変わっていない・こと(さま)。世間なみ。なみ。 「 -の人間」 「 -にやっていたのでは成功しない」
三省堂 大辞林 第三版
①「だれが考えても」そうであるべきって、凄い。
①と思われることが出来ていないと叩かれる。
でも、倫理的にそこまで悪いことをしていなくても、叩かれる。袋叩き。
「叩く」時点で、何かおかしい。人によって①の基準も違うことに気づく。
②の「普通」が変化している今。世間も変化。
そして「当然」にはこの意味は含まれないらしい。
「あたりまえ」に出来ていること、そんな日常に感謝。
そうやって生きていかないと、いざ「あたりまえ」が変化した時に不平不満を言うことになるのかもしれない。決まりきった「あたりまえ」なんて、ない。
だったら今ある「あたりまえ」を噛み締めたい。
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さて、この おどりば で
正直に、今、心の中をのぞいて見ると、
どこか、ホッとしている自分がいる。
今、自分の周りにある「あたりまえ」は、
あまりにも穏やかで、ぽかぽかした陽だまりに包まれている。
山も雲の向こうに見えて、青空もやわらかい。
仕事もあって、人も前向きで。
共に暮らす人々も、明るく前をみている。
遠くで暮らす街中の実家、家族も楽しく暮らしているようだ。
学校で、この時世で闘っている姉妹もいる。
応援のために、心ばかりの好物を贈った。出来うる限り応援したい。
前回書いた記事は、まだ変化が始まったばかりで、確認のためにも書いていた。
自分のために、そして誰かの思考や行動のきっかけにでもなれれば。
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今はと言うと、あまりに穏やかで、逆にこの「あたりまえ」が変化することをどこか恐れている?と言うか、逆に動き出す覚悟が必要になっている。
今があまりにも穏やかで。
世間が、社会が、どこか止まっていて、
ゆったりと休んでいるような波が、心地よくもあるから。
社会が、世界が勢いよく進むスピードに引っ張られるのは、
どこか忙(せわ)しなくて、ドキドキするから。
ずーっとリレーを走っているかのように。
元々、変化に対応していこうとするタイプで、環境次第だからこそ。
猛スピードで共に進んでいく、その気合が必要な環境が、
時には止まって欲しいと思うから。
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あぁ、そうか。もしかしたら
今世間で起きたいることは、
世界のおどりばなのかもしれない。
みんなで一度立ち止まって、本質な何か、大切なこと、
護っていくべきことは何かを、考える「おどりば」に立っている。
もしかしたら、100年ごとくらいの周期で。
歴史をふりかえっても、重要な局面。
きっと、次のステージは穏やかであって欲しい。
こもれび -komorebi-
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