今、しあわせである。

住人

さて、このご時世に、こんなことを書いて。

大変な時期なのだから、みんなで大変だね、
と傷を舐め合う方が良いのだろうか。

言葉は伝播する。

いま起きていることは、インフォデミックと呼ばれている。

情報の氾濫、社会を混乱

「インフォデミック」とは | NIKKEI 日本経済新聞 電子版
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO57688620V00C20A4I10000/

自分は決して、この波に乗じたいとは思わない。

かといって、情報を遮断したいとも、思わない。

必要な情報は得ていくし、むしろ真実を知りたい。そのために調べる。

一次情報が知りたい。
一次情報とは、実際に目で見て体験したことだと言う人もいる。

早い話が、自分の直感や体験が大事。

***

さて、いま必要とされている自粛はする。衛生対策もする。健康配慮も。

でもこれは、手洗い潔癖症の自分からしたら、ごく当たり前のことである。

くしゃみの飛沫は5mは飛ぶことを、小学校で習った。
電車内は同じ車両にいたらこの距離。そんなことは知っていた。
それでも、電車には乗らざるを得ない。

せめてつり革は避けている。

石鹸のないお手洗いにはテンションが下がる。
水だけで洗った場合、逆に細菌が増えるなどの培養結果まで見せられていたからだ。これも小学校で習った。(当時、有名な大腸菌が流行った世代で徹底された)

ドアノブだって、極力触らないようにしていた。
そのために自己流で開ける方法なども編み出した。

同じように習っていても、実践するかはその人次第。

清潔にし過ぎた結果が、免疫力の低下に繋がる説もあるのだから。

何れにせよ、自分は手洗いが好きだ。気持ちいい。

好きな香りで、無添加で、潤う石鹸など見つけたら、眺めているだけでいい。
これだけ見たら、まるで趣味の域だ。

でも今は、どんな考え方でも、一律に行動することが求められている。

「強いられること」が、どれだけ人々のストレスになるか。

家にいることが好きな人にとってはパラダイスだろうが、その逆もあるのだ。

ちなみに自己管理。そのために免疫力を高めるためのヤ○ルトも常備だ。これは類似品では意味がない。予防医学のパイオニアの博士が発見した、「トクホ」お墨付きの商品である。いや、宣伝ではない。

医者いらずの健康食、味噌も味噌汁も日常にあるし。
万能栄養食の卵も常備。ヤク○トも味噌も、信州で始まったり愛されたり。長寿の秘訣がここにも見える。

いま、とても不安があおられる情報が闊歩(かっぽ)している。いばって。

そしてまた、駆け巡っている。

でもふと、自分の状況に落とし込んで見ると、
心底しあわせなのだ。

美味しいものが食べられる身体が、まだある。仕事もある。忙しい。
家にいながらしたかったことが山ほどあって、時間が足りないくらい
電話やオンラインで繋がれる友達がいる、家族がいる。しあわせだ。

職を失っている人の前で、到底言えない言葉である。

自分は護られた。でもそれでいい訳ではない。もどかしい。

できれば、みんなにも幸せを感じてもらいたい。

そんな壮大なことを考える。方法はないか。

ジタバタしていられない。今更なのである。
こういう自体が起きることは、鎌倉時代から言われていたのだ。

「立正安国論」これも、歴史で習っている。その原因も。
国宝にもなっているそうだ。

でも、原文を読んだ人はどれだけいるだろうか。
自分は、最近やっとこさ拝したのだが、あまりにも綺麗な文章で驚いた。
時の鎌倉幕府、北条時頼に諫暁された書で、日蓮大聖人が書かれた。
とても丁重な言葉で、丁寧に、なぜ必要かが書かれている。

疫病や自然災害が起こる原因は、誤った思想・宗教によるものだとハッキリと書かれている。これはまるで劇的で排他的な考えのように叩かれるが、そうではないのだ。その人たちもひっくるめて、しあわせにしようとする慈悲心が根底にある。守護国家論と共に書かれている。国を安んずるため、国を守るため、つまりはみんなを守るため。

法華経、その中でも妙法蓮華経に帰依することの大切さ。
ただ唱えるだけで、ご本尊が何でも良い訳ではない。
筋道も、方法も、きちんと選ばなくてはならない。
適当にやってみて、嘘だと叫ぶには、余りにも浅い。

真剣にその通りに実践してからアンチになる人が、どれだけ居るだろうか。
到底はやらない理由を書き連ねるか、適当に片足突っ込んで分かったフリ。
実践は盲信となることではない。実践後は歴史的に体験として現れてる。

念の為書いておくが、これはどこぞの都市伝説的な話ではない。

ほとんどの都市伝説は、後付けで意味付けされているものだ。
そして、販売促進が隠れている。立正安国論は、そのような目的で書かれたものではない。なんなら、書いた事でところ追われ、大変な難に次々と晒されている。これは自分のために書いたものではないことが分かる。自分を贔屓して欲しいだけならば、おべっか使って人々に聞こえの良いことを宣伝すれば良いはず。

ここで本当は、皆さんにこの真意をお伝えしたい。それが幸せの道でもあるとも書かれているのだから。しかし、それらは余りにも深い。自分なんぞが簡単に説明できる代物ではない。なんなら、ご僧侶に話していただきたい。でないと、本当の真意が伝わらない。ネットの文章に代弁してもらうのも難しい。ただ検索したところで、どこぞの怪しい団体が書いた我見の入った文章が散見される。

自分の無力さを感じる次第である。でもここはネットの世界だ。
今、オンラインの力が必要ならば、書いてみたい。

強いて情報をあげるならば、こうだ。

立正安国論

[日蓮] [著],立正安国論正義顕揚750年記念局記念出版委員会 翻訳・編纂
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010415951-00

国立国会図書館のデータを貼ってみた。
解説付きの本である。

それでも、図書館に行くのもままならない今。
これでは伝わらない。もどかしい。
いややはり一言では語れない。やはりお力を借りよう。

日蓮大聖人御書 – 立正安国論/平成27年7月 永代経 原文あり

日蓮大聖人御書拝読と御法話 日蓮正宗向陽山佛乗寺
http://www.butujoji.jp/houwa/houwa2707ek.html

立正安国論 他

仏教セミナー/平成二十七年七月十九日 日蓮正宗佛乗寺
http://www.butujoji.jp/houwa/note20150719.html

全文ではありませんが、一次情報に近い。
出典を選んだ理由。それは、自分の体験からです。実際にこちらの寺院でご法話を拝したこともあります。そして、それらを実践している人の数多の体験談も。しあわせに通ずる実践と体験。それ以上の一次情報はない。そして自らの体験にもなっています。

幸せって言葉が、まるで歯の浮いたような事に聞こえるのは、
本当の幸せは何か、の定義も曖昧で、実際に体験している人が少ないからかも。

どこかから幸せが落ちてくることを願うのは、見当違い。
全ては自分次第。正直に。周りに流させることなく、真理を追求、実践する。
疑問があるなら徹底的に調べ、行動する。検証する。実践する。
ものごとが正しいかどうかは、理屈と証拠と現実に起きてることを見ればいい。

皆様のご多幸を、お祈り申し上げます。

日蓮大聖人がご入滅なさった際、季節外れの桜が咲いたそうです。
人間としての仮の姿はないものの、ご本尊さまとして常住になられたとを自然界が喜んだと。
それらを祝う儀式が、毎年「御会式」として執り行われます。
そこで読まれるのが、立正安国論です。主人と客の居る問答形式です。
最後は問いそのものが答えになっています。

 P.S.雑記
いま、目の前にはオンラインコンテンツが急激増加。
優良なコンテンツも増えた。地方にいたらアクセスしにくかった情報も、容易に得られるようになった。勉強したかったことに、安価な電子チケットが販売されている。むしろ、夜には生配信が乱立するかのようにあって、迷うくらい。今までもエンタメはあふれていて、ア○ゾンサブスクの映画見放題なんか、活用できたことがないくらいだった。あまりに勿体無い気もするが、時間を使う優先順位がある。自分はどうしても、晴れていたら外に出たくなる方だ。イベントで直接人に会う方が好きだ。音楽は、断然ライブがいい。聴くのは物足りなくて、体感したかった。そうそう、潔癖症のくせに、ライブは例外だった。あれだけ知らない人の中でもみくちゃにされて、誰の汗だか分からないものでビショビショになるTシャツ姿になっても。。。冷静に考えれば心底気持ち悪いのだが、そんなことは気にならないくらい、気持ちが良いのだ。知らない人からしたら、それ自体が気持ち悪いかもしれない。これは説明できない。体感する。しかも、好きなアーティスト出ないとあまり意味がない。音が、波動が、言葉が、気持ち良いのだ。気持ちが、いいのだ。そういう意味では、大好きな生の現場たちが大打撃を受けているのを見るのは辛い。悲しい。そして恩がある人たちが立ち行かなくなるのは辛い。嫌だ。どうにかしたい。一方で、現状のシステムでは元々課題もあった。そういった部分が、もう一度リセットされて、ここで新たに、真に人々のために考えられたサービスが、もう一度、生まれてくるのだと思う。きっと恩のある方たちは、誰かに”支援”を受けなくても、それらを生みだせる力がある。そういう協力者たちが現れる。自分も応援したい。そういった人間臭い業界でもある。海外に比べて補助金がなかったとしても、強いコンテンツが生まれ続けている日本も誇りに思う。

こもれび -komorebi-

こもれび

『こもれび』 木陰でそっと休む。 見上げれば、キラキラした光。 吸い込めば、青々とした緑。 耳をすませば水の音。 そんなひとときを過ごせるように。 自分のた...

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