働くということ。!

住人

先日、こんなツイートをした。

一個上の先輩方が社会人になり、同い年の友達が就活をはじめ、自分も将来について考えることがふえた。

そんななか、相変わらずやりたいことは、ない。

ないというわけでもないな。正確には、「これ、やってみたいかも」と思えることが見つかっても、「でも、自分にはむりだ」とすぐに取り下げてしまう。

いつまで経っても自己肯定感が低いなあ、と結論付けてしまいそうになるが、最近、「むりだ」となるのには別の理由があることに気付いた。

わたしは、“ネガティブな両極端”な考え方をしてしまう。

例えば勉強。テスト勉強のために教科書を読み始めて、ひとつでもわからない箇所が現れると、「こんなことが分からないんじゃもうこの科目は理解できていない、今まで授業を受けてきた時間はなんだったんだ、本当にばかか」と絶望してしまう。

たったひとつの分からない箇所のために、その瞬間、内容のすべてをあきらめてしまうのだ。

進路に関してもそう。

こんな仕事やってみたいな。でもこの仕事にはこういう側面があって、きっとこういうことが起こる。わたしにはそれを乗り越えられない。だからこの仕事には就けない。

大学院に進学してみようかな。でも、わたしは今まで受講してきたこれも、あれも、それも身についていない。だから進学しても周りについていけなくなるだろう。進学はできない。

そうして浮かんだ選択肢を次々に取り下げていくうち、最後に残るのは「やりたいことが何もない」自分だ。

上のツイートに、たくさんの大人のみなさんが反応してくれた。そして、自身のお仕事についてや、働くことに対する考えを聞かせてくれた。

お話を聞いていく中でわかったのは、みんながみんな100%すがすがしい気持ちで働いてるわけではないってことと、みんながみんな社会の理不尽や苦痛に耐え続けながら働いてるわけでもないってこと。

無意識のうちに、社会に出たら、やりがいに満ちて社会のために生き生きと働く人間か愚痴をこぼしたり趣味に楽しさを見出しながらつらい仕事を乗り越え続ける人間のどちらかにしかなれないと思い込んでいた自分に気が付いた。

0か100かではないのだ。環境や考え方の工夫次第で45にも73にもなれる。

就職した瞬間にすべてが決まってしまう気がして、ここでも極端に恐れていたのだ。

まだまだ話を聞いている途中だけれど、そんなことに気付けただけで、かなり大きな収穫を得られたな、と嬉しく思う。

人生は自分の思い通りにすることができる。と、考えるための訓練を、しばらく意識していってみよう。

おてあらい花子

鼻唄みたいな言葉と、呟きみたいな歌をこぼします。20歳です。

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