わたしへ あなたへ

住人

おどりばで書き始めて2回目の記事になります。
ひと月に一度の更新。そのおかげか、このひと月はなんだかとても長く感じました。
そしていつぶりかわからないくらい久しぶりに、日々の積み重ねや時の流れをちゃんと感じた気がする。

私事ですが先月誕生日を迎えました。
もうとっくに大人。大人も大人。なんならなかなか良い年齢になってしまった。
しっかり考えたり悩んだり感じたりして生きてきたつもりだけれど、振り返ると何も成せていなくて焦る。
ひとつひとつ、できることをしていくしかないのだと、わかってはいるけれど
私はいったい誰と、何と比べて焦っているのだろう。
やりたいこともやらなきゃならないこともたくさんあるのに、そのどれもが疑わしい。

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誕生日が近くなると気分が憂鬱になる。
誕生日に限らず、世の中の賑やかなイベントごとの前はいつも憂鬱だ。
街全体がほんの少し浮ついている感じがどうにも居心地がわるい。

それなりに生きてきた年の功で、自分一人くらいの憂鬱の紛らわし方は幾通りも心得ていたけれど、
今年の誕生日はだめだった。
気分の波がいつになく酷くて、ストレス耐性が強い上に頑丈な体でさえ疲れ切っていた。
精神的にも環境的にも気候的にも世界的にも、きっと様々な要因が混ざり合っているとは思う。
とは言え寝込むとか仕事を休むとかそういったことにはならなくて、頑丈であることを少し恨んだ。

ふと思い立って調べたら、誕生日前の憂鬱は
「バースデーブルー」と言うらしい。
誕生日は幸せだという先入観や、それと比べた現実との落差や、幼少期のトラウマだとか、家族との折り合いが悪いとか、そういった要因があるとかないとか。
あと早生まれは比較的バースデーブルーを感じやすい(冬は日照時間が短いのでセロトニン(幸せホルモン)不足で鬱傾向が出やすい)らしい。

全く心当たりがないわけではないけれど(2月なので忘れられがちだったり、誕生日の近い父とまとめて祝われたり)、嫌な思い出があるわけでもなし、家族仲も人付き合いも別に悪くなし、思い描いた理想の生活や自分と現実のそれとのギャップはそりゃあ有るにしても、
恵まれてほどほどに幸せだし、
取り立てて これが原因だ! と決められるものは無く、
なぜこんなふわふわした不安や憂鬱に振り回されなきゃならんのよと(わからないものにこそ不安になるのかもしれないが)、もっと化学的に原因の究明をしている記事とか物理的な対応策はないのですか!と躍起になっていたら、

『バースデーブルーに花束を』
という記事を見つけた。

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これが おどりば との出会いでした。

今はもう退居されている、しえさんのその記事は、過去の自分と向き合って、周りの人たちに感謝をし、まるごと受け入れ(ようとし)て、今日から先を見つめる、優しい言葉で綴られていました。
『バースデーブルーに花束を』を読んで、私の憂鬱は少し和らぎました。
ありがとう、しえさん。見ているかわからないけれど。ありがとうございます。

そうしてこの場を見つけてしまった私は、おどりばのコンセプトを熟読し、第一回からおよそ2年間にわたる住人の皆さんの記事を全て読み、
入居希望を出したのでした。

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私は高校生の頃から十数年、日々誰にも見せることのない雑記帳をつけ
自分自身と対話をしてきました。

あわせて、誕生日を迎えるたびに来年の自分に向けた手紙を書き、一年おいてまた誕生日になったら、
一年前の自分からの手紙を読み一年後の自分に手紙を書く…ということもしていました。

大学一年のとき「自分史」という授業があり、改めて自分のことについて考えたり身近な人に聞いたり調べたりして、
書き溜めた雑記帳も全て読み返し、
最終的にこんな作品をつくりました。

〈 わたしへ あなたへ 〉

ずっとずっと、自分のために、自分だけのために綴ってきた過去の言葉たちが
年月を経て今の自分を救ってくれたりすることがあった。
自分のためだけの言葉だったけれど、同じように悩んだり苦しんだりしている誰かがいて、
そのひとりぼっちの心に
少しくらい寄り添えたりするんじゃなかろうかと考えて作ったものでした。

おどりば は、あの頃わたしが考えていたことに似ていると思った。
自分自身の小さな宇宙とひたむきに向き合うことで、うっかりすくわれてしまう誰かがいること、その面白さ。
否定も肯定もせず、でも寄り添ってそこにいる、シンプルだけれど現実には少し難しい関わり合い。
何者でもない ひとり が、ただ居られる場所。

自分の作品は今思えば結局、自分から出て行ったようで自分に近い範囲に留まっていたけれど、
おどりばはもっとわかりやすく良い方法で広がっているように感じた。
現に長野に住む数人から、東京にいるわたしに繋がったのだから。

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3年ほど前、50冊以上になった雑記帳を全て処分し、誕生日に手紙を書くこともやめました。
もう振り返らなくていい、私は私を助けなくても生きていける、と思ったから。
そのときはポジティブな別れのはずだった。

それからはほとんど書くことをしていない。
文章どころか文字ですら下手になっている。
生きていける、と思ったけれど
日常をやりくりするのに精一杯で、考えることが減ったら感じとることも減ってしまった。

たしかに、息を吸って吐いて、食事をし排泄をし、生きてはいる。生物だもの。
でも空っぽだ。空っぽだ。
なにも考えられないし思い出せない。
これって生きてる??
そしてバースデーブルー…。

そして出会った おどりば。

離れたどこかで暮らす、知らないそれぞれの人生を歩んできた知らない人たちが、
違う環境や境遇にいても同じように悩んだり苦しんだり、日々様々な物事から感じて考えて生きているという事実が
とても嬉しくて愛おしくて、
もうずっと書くことをしていないけれど、自分もここで、書くことをまた始めたいと思いました。

しばらくは思考のリハビリ、のような場になると思う。
このテーマについて書こう!とか、誰かのために書こう!とか、今は思えないから。
忙しない日常から少し離れて、ひと月に一度、じっくり自分と向き合う場。
立ち止まることを許容してくれる場所。

 

 

 

進むために、立ち止まる。
わたしがわたしであるために、まだ何者でもなかったわたしにかえっていく。

ぐるぐると自分の宇宙を泳ぐけど
周期のどこかであなたに出逢う。

ハロー ハロー 調子はどうだい
こっちはなんとかやってるよ。

また歩き出すその日まで
しばし、わたしはこの定点で。

はろ

何者でもない わたし と あなた に寄せて。

プロフィール

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