一人でいる静寂

住人

「人は一人では生きていけない」

確かにそうだなと思う。



でも、同じように

「人は一人でも生きていけなければいけない」

そんなことを思った、この夏の気づき。












この夏は意外と充実していた。

研修に、セミナーに、やろうと思っていたことをやったり。

家ではオリンピックを観戦したり。

その結果について、大切な人とオンタイムでLINEでやりとりしたり。

気心が知れる友達宅に泊まって意味もなく時間を過ごしたり、行ける範囲での旅行に行ったり。






そんな中、このお盆の数日。

大雨のせいで予定がなくなり、ぱっと時間ができた。






落ち着かない。

もともと遊ぶ予定だったから、それがなくなってできた「空白の時間」

この時間の使い方に困る。

ふっとするとスマホを見てしまう自分がいる。




「誰かから、なんか連絡入ってないかな」

「Facebookで誰かなんか面白いことあげてないかな」




時間の無駄。

そして同時に思う。



「自分ってこんなに一人の時間に弱かったっけ」








過去の自分を思い返せば。

小中のときは自分のスマホ(ガラケー)はないし、一人で出かけることもできない(家は山の中)。

高校の時だって、別に一人でも寂しいと思うことは少なかった。

というより、それが当たり前だと思っていた。








そう考えると、今の子たちは大変だな、なんて爺っぽく思ってしまう。

だって

TwitterやLINEや、その他諸々のSNSでいつでもどこでも友達と繋がれるし、テレビゲームでさえお互いの家に居ながらにして繋がれる。

youtube には、好きなアイドルの動画が常にあるし、何ならライブ放送ならネット上でオンタイムで好きなアイドルと繋がれる。




学校が終われば毎日そんな環境にいるのだから、誘惑が多くて大変だな。。。

宿題をやるにも、自分から「ネットはここまで」とか「この時間になったら勉強するぞ」と決めてやらなきゃいけないし。。。




あえて自分で、「外」とのつながりを絶って、自分という「内」の世界に入り込まなければいけない。









よく

「人は社会的な動物だ」

なんていうけど、

「人」は、「外」と繋がれる環境があれば、本能的に人と繋がっていたいと思うのだろう。






「外」と繋がれる環境があれば必然と「繋がっていたい」と望む。



だからこそ





「繋がれない」ときに、「繋がろう」と右往左往する。(InstagramやTwitter、Facebookを意味もなく見る、ダラダラとyoutubeを見る…)





「繋がれない」なら、「自分」の時間を、「自分」一人で、「自分」のために使おう、と思う。(本を読む、自己分析をする、調べる、考える…)





大きな違いだなと思う。




今まさに、時代の大きな転換点にいる。

よくそんなことを聞くし、日本のこのド田舎にいるだけでも、コロナ禍をはじめ、時代が大きく変わりつつあることを感じる。



やろうと思えば常にでも人と繋がっていられる今だからこそ

「自分だけでいる静寂に耐えられる」

ことは、これからの社会にとって大事なことなのかもしれない。



自戒を込めて。

あかっぱ

よく中学生に間違われます。「見た目はこども、中身もこども」な25歳です。

プロフィール

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