社会という生活保護

住人

 

市役所の障害福祉課や、民間の就労移行支援事業所で働く中で、生活保護制度を利用する人たちと出会った。
生活保護を受けることになった経緯は人それぞれだ。
ある日事故で脚が動かなかくなってしまった。そのショックでお酒に溺れてアルコール依存。働けなくなり生活保護を受けることになった人。
毎日続く残業。職場で強く当たってくる上司。それらが原因で精神疾患を発症し退職。障害年金と生活保護で暮らしている人。
様々な事情で働くことが難しくなり、生活保護を受けていた。

 

関わった人の中には、「生活保護を受けているとバカにされるから受けたくない」という人もいた。
確かに世の中には、「生活保護の人は怠け者」「能力のない人」「生きる価値がない」と思っている人がいる。
ネットでもそのような発言を目にすることが多々ある。
感情論で、「そんなことはない」「人は誰にでも価値がある」と反論することはできる。
しかし僕らは、社会とは何なのかを、もっと自分事として考える必要があるのだと思う。

 

もし自分が生活保護を受ける必要がないのならば、非常にラッキーなことである。
日本では100人に1,2人が生活保護であり、そんなに多くは無いように思えるが、捕捉率(生活保護が必要なレベルの所得の世帯のうち、現に生活保護を受けている世帯の率)は22%程という調査結果がある。
本当は生活保護が必要な状態の人たちが今の5倍はいるのだと考えると、他人事として安心していられるだろうか。

 

事故で突然脚に障害を持つことも、仕事で精神疾患になってしまうことも、誰にでも起きる可能性がある。
これら以外にも自分が働けなくなってしまう要因はいくつもある。
いつ自分が貧困になってもおかしくない。
自分がもしいま普通に生きることができているのなら、それはラッキーなのだ。
国や地域、環境、時代、タイミング、才能、努力、能力、家族、人間関係、そして運。
いろいろな条件の組み合わせによって、たまたま今の状態があるだけなのである。

 

僕はラッキーである。この時代にこの場所で、この家族のもとに生まれた。
学校を卒業して、自分で選んだ仕事で働くことができている。
喜ぶべきことである。
ラッキーな僕は、ラッキーであるからこそできることをする責務があると思っている。
社会のために納税することができることも、仕事で誰かの役に立つことができることも、
それができること自体が、ラッキーなことなのだから。

 

僕が出会ってきた「幸せそうな人」にはこのラッキー思考がある。
自分のラッキーな部分を見つけることができて、それを周囲のおかげであると捉え、
じゃあ他者に何を還元できるか、という思考になる。
この思考の人は自分を変えることができる。
なぜなら、自分が変わり行動を起こすことが社会が変わることであると、無意識に分かっているからだ。
自分=社会なのである。
社会に与えることは、自分に与えていることと同じである。
一方、この世が憎い、あいつはおかしい、だから社会を変えないと、という思考の人がいる。
社会を変えることで過去や現在のつらい自分を救おうとしている。
この思考の人たちにとっては、自分=社会ではない。
だからもしそれで社会が変わったとしても、結局は孤独なままである。

 

弱者とは何か。
働けない者、障害がある者、家がない者、お金がない者。
社会にはたくさんの種類の弱者と言われる人たちがいる。
しかし、弱者が弱者のままでも生きることができる仕組みこそが、この「社会」なのである。
人間がともに創ってきた生きるためのルールである。
結束することで生き残ってきた。これは一人ではできないことなのだ。
ジャングルの奥地に何も持たず一人残されたら生き残ることは難しい。
そこに社会はないからだ。
僕らは全員が弱者なのである。
社会があるおかげで、僕らは生きることができている。

 

しかし今、社会は新しい弱者を生んでいる。
人は頭だけを使って考えまくり、すべての物事に「意味」が必要で、情報が何よりも大切になっている。
そのせいで、意味のないものに価値はないという常識が無意識に身に付いている。
何かが起きた原因は必ず誰かにあると、思わずにはいられない。
人間関係にばかり感性を集中させすぎている。
繊細な人が増えているが、人間に対する感性と人間以外に対する感性のバランスが崩れている。
僕らはもともと自然の中で生き残るために社会を創り出した。
だからこそ、ベースである自然にしっかりと感性を傾ける必要があり、身体性を失ってはいけない。

 

社会がおかしいなら僕たちがおかしいのである。
社会で何か良くないことが起きているなら、それは自分たちの責任である。
より多くの人を包括できるよう、社会を成熟させ、継続させなければならない。
それが、未来の自分や大切な人を救うことに、いつか繋がるかもしれない。
時代や環境や才能や運。
何度も言うが、いろいろな条件の偶然の組み合わせが、今の自分なだけである。
自分がラッキーである部分を感じ、
それに感謝して自分以外に還元する。
それによりいろんな人間が生きていく。
その仕組みが社会なのだと思う。
社会に感謝をしたい。弱者である我々の知恵と努力の結晶なのだから。
社会という生活保護制度に、みんなが生かされているのだから。

soshi

1991年生まれ。長野市出身。 大学の専攻はジャーナリズム。休学し9カ国放浪後、地元市役所に入る。福祉部門に配属となり、障害者のソーシャルワークなどを行なう...

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