デルたんは今日もクーデレ☆

住人

*今回のエピソードは個人の体験に基づいて書かれています。
特殊性の塊なのと、科学的な根拠があるわけではありません。
なお、表現に”若干の”不適切さが入ることを最初に謝罪します。
どうもすみませんでした。


病院から電話があった。「陽性ですね」


まぁそうだろうと思った。

咳→頭痛→味覚、嗅覚障害→だるさ→熱と日を追うごとに症状が重なってきた。

「思い当たる節は?」

保健所、医師、看護師、親が同じことを質問してきた。
真夏の都内は日中、窓を開けただけで汗ばむので、エアコンの下で快適に過ごしていた。
外に出るのは週に2,3回。
夕方以降スーパーへ買い物へ行くか、週に1回の定期健診(まぁ朝の1時間電車乗り継いでいくのでリスクはありますが)

ワクチンは打っていない。というか打てない。
免疫抑制剤の関係で、今打っても抗体ができづらいことが理由だ。


移植後の制限もある中(詳しくは以前の記事を参照→ニュースタンダードを探して痛みはだれのものか
外でご飯も食べないし、外出時にはマスクを二重にかけていた。
アルコール消毒液を常に持ち歩き、1アクション1プッシュしていた。
これでかかるんなら、多分都民全員かかってるんじゃないか、ぐらいの自負はあった。
実際そうなのかもしれないけど。


同時に、かからない自信もなかった。
これでかからずに無事に長野の自宅に帰還できたら、日本をあげて表彰とかされてもいいだろうと夜中のテンションで考えたこともあった。

発症1週間して、入院した。
その時は熱と頭痛と咳とだるさで、もうろうとする意識の中(アセトアミノフェンというポピュラーな解熱剤は効かず、ロキソニンとかいう強めのお薬は腎臓への負担を懸念され持ってなかった)大き目のスーツケースに入院セットと15冊ほどの本とサブPCを詰め込んだ。

民間救急車が目立たない場所に迎えに来て、マンションからそっと出ていった。
病院まで30分。何度か酔いかけたが。

ニュースで見るのとは打って変わって、対応はかなりスムーズだった。

病院について、診察室に通され、すぐにCT。
その間、デルたんの中等症Ⅰだと診断が出た。
軽症でも滅茶滅茶しんどい、と聞いていただけに「あ、もう一段階上なのね」と思った。
多分、めちゃくちゃしんどいのは、滅多にしんどい症状にぶつかったことがない一般の方のご意見なのかもしれない。
感覚で言えば、何十回とかかってきたカテーテル感染に咳が加わった、ぐらい。


「軽く肺炎になってますね」

CTの結果、両肺の下が白くなっていた。
これが肺炎の影というやつか。
診察室のベッドでググってみる。ちなみにスマホは普通に持ち込めた。

「普通は薬で治るけど、稀に固まって、慢性的に呼吸がしづらい症状が後遺症として残ることがある。」

わお。
消化器の次は呼吸器疾患ですか。

でも、「あーこれは死ぬかもなぁ」とは思わなかった(死を意識した、という体験談も見るけど)

根拠は案外ふざけたもので、「移植して生かせようとした命をドクターは、みすみす捨てるようなことはしないだろう」というものと、「これは自分の死に際ではないな」という直感だった。

死ぬかも、と思ったのは忘れかけていた「冷たさ」で書いたものが割と上位だった。
(ただ、中等症以上は通常入院の対象らしい)
後遺症残ったら面倒臭いなぁ程度は思った。

医療につながれず、搬送されずに亡くなる人たちの報道を連日 目にする。
自分が入院する病院も、1日50件を超す搬送要請を断らざるを得ないそうだ。
保健所の人から「入院できてよかったですね」と言われたとき、現状のリアルさを感じた。

なんら健康に害がない人たちが、次々と亡くなっていくなか、自分は、生き延びた。
自然淘汰の順番でいけば、自分の医療の優先順位は低いにも関わらず。
”たまたま”基礎疾患があり、”たまたま”移植という大きな治療の経過観察中であるが故だ。
「重症化のリスク大」の自分が重症化せず、比較的早期に適切な治療を受けられる。


なんたる矛盾。なんたる不条理。


ありがたさと同時に、自宅で”死ぬかも”を体現している人たちのことを想うと…。

家族もいるだろう。大切な仕事もあるだろう。家のローンだって。趣味だって。将来だって。
そういうものをすべて数日のうちになくしてしまうかもしれない人たちが増えてしまった。
「明日何が起こるかわからないから今日を目一杯生きよう」などという自己啓発本の一文を思いっきり蹴飛ばしたい。
事故の一瞬ではなく、ジワジワと苦しみながら亡くなっていく。
ニュースやドラマ、家族から聞く遠い親戚の体の具合の様子が、リアルに自分に降りかかる。
いつからこんなハードモードになったのか。
世界を書いている神様が、方向転換でもしたのか。
「あ、なんか中世の様子とか書いてみたくなった!」とか。
割と勘弁してくれ。

コロナ病棟。
こんな病棟、病室は初めてだった。
病室の外に患者の気配がない。みんな病室の中だった。
壁を挟んだ隣室では「苦しい〜苦しい〜」と夜な夜な聞こえる高齢者の唸り声。(もしかしたら認知症だったかもしれない)
看護師さんがくるたびに「マスクつけてください」と言われた。
勉強しようとするときに限って親が部屋に入ってきて「勉強しなさい」と言われている感覚だった。

最近、髭をそってなかった。
「人工呼吸器つけるようになったらテープが貼れないので剃っておいてくださいね」
と看護師さんからご指導が入り、ちょっと背筋が凍った。


コロナの治療自体はそれほどかからなかった(免疫機能もちゃんと仕事してたらしい)が、免疫抑制剤の調整が難だったようだ。

どうやら小腸移植後に感染した患者のデータがほとんどなかったらしい。
医師によるとむしろ”世界初”だったようだ。
論文に協力してくれ、と言われたらマージン3割で手を打とうと思う。
複数の科が携わって、特殊な医療チームが組まれていたらしい。
ただ、処置に慣れているいつもの病棟の看護師さんでなかったため、熱を出しながら、咳をしながらいろいろ伝えたり、自分で処置もしていた。

メインの治療は1日1回5日間のレムデシベル(販売名:ベクルリーというらしい)という薬の点滴投与。
入院初日に熱でもうろうとする中、何かの書類にサインをしたのを覚えている。
あとで見てみたら「この薬はコロナ用ではないけど、ちゃんと効果はあるよ。
ただし、コロナ用につくられたものではないのでそこんとこよろしくね!」という感じだった。
一応ちゃんと記憶に残っているところをみると、あの状態で連帯保証人へのサインを求められてもしなかったかもしれない。
ビバ自分。

少し強めの解熱剤をもらい、熱と頭痛は翌日には収まってきた。
入院3日後には味覚と嗅覚が戻ってきた。
5日後に1人部屋から大部屋に移った。(本来4人部屋だったものが2人部屋になっていた)
同室の患者さんは、「抗カクテル療法は使えないんですか?」「イベルメクチンは?」と恐らくニュースか何か聞いたであろう情報を元にドクターへ聞いていた。
おそらく70は超えているであろう患者さんに、ドクターが使えないと告げると結構な勢いでまくしたてていた。

治療が終わり、ぶりかえしがないと確認されてから10日後に退院した。
ダルさも頭痛も、熱も咳も、肺炎もきれいさっぱりなくなっていた。

ただ弊害があるとすれば、9月に予定していた手術が1か月ずれたことだった。

タクシーでマンションまで帰ると、急いで準備をしたものだから、家がしっちゃかめっちゃかになっていた。

退院から1週間がたった今も、特にぶり返しの症状は出ていない。
またしても、「生き意地の汚さ」を存分に発揮してしまった。

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今回、この文章を書くことについて、かなり悩んだ。
気軽に「備忘録」なんて言えない。「体験談」としても扱いに困る。

すでに体験をした患者が、同じように体験談を様々な媒体で残していて、主観のエピソードとして見ることができる。
自分が書くことに意味はあるのだろうか、と。

そんなとき「全部おどりばにしてやる」という言葉が頭をよぎった。

1日の感染者数が右肩上がりになっている今でも、身の回りでかかったという話をあまり聞かない。
もしかしたら同じマンションの中にいるのかもしれない。
SNSを見ていても、「知り合いがかかった」という投稿はあるが、「自分がかかった」という知り合いはあまり見ない。
言えないのかもしれない。少なくとも自分は一部の人たち以外言えなかった。

実は会食をしていた。実は県をまたいだ。実はマスクをしていなかった。
実は…。
自白と後ろめたさと罪悪感と、そして恐怖と。
あるいは、バッチリ対策をしていたのにかかってしまったなど。

対策とは一体全体なんなのかと自問自答したくなる。

「かかりました」と言うと濃厚接触者として迷惑がかかってしまう。相手は仕事を休まないといけないかもしれない、そこから家族に移してしまうかもしれない。感染源が自分だとわかれば、治っても今まで通りの仲ではいられないかもしれない。

考え過ぎかもしれないけれど、想像に難くない。

自分は普段「差別はいけない」と思っている。
だけど、いざ近くに感染者がでたら、内心引くと思う。
そういう「引き」は「あ…」という声にならない声とともに、その人に伝わる。
ただ、それを声に出すのと出さないのとでは雲泥の差がある。


心ない投稿も最近増えてきたように思う。
それも、普段はそんな投稿をしない人たちが。

自分が我慢してるんだから、相手も我慢するべきだ、と。
感染拡大地域から自分の身を守るために実家へ帰ってきた人を、存分にたたき上げる。
地方に広げるな、迷惑だ、都会から持ってくるな。

多分、言ってる人は自分が差別をしていると、気づいていない。自己防衛だと言うかもしれない。
社会の危機に、プライバシーは大いに制限されてしまうが、それは人が人を差別する理由にはならない。

正直、感染したのが東京で良かったと思う。

今は一人暮らし。家族に移す心配もなかった。
それに、もし地元で感染したら、理不尽で不条理な差別に遭う可能性がある。
「あの家の息子がかかったらしい」「職場はどこどこで」「少し前にスーパーで見た」
普段の地域の様子を見ていると、容易に想像ができる。

今住んでいるところに知り合いはいない。
感染した自分を、誰も責めなかった。思い当たる節は?とは聞いたが、それは責めではない。
責めたところでどうにもならないことを医療スタッフもみんな知っている。

責めない、ということはその人が僕たちの周りに戻ってきたとき「大丈夫だよ」という声のないメッセージなのだと思う。

sarami

生き意地の汚い人生を 送っています。

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