【009】「合唱が好き」とは?
僕は合唱が好きだ。
皆で合唱することが好きだ。
一緒に合唱する仲間が好きだ。
合唱ができる場所が好きだ。
でも、わからない。
「合唱が好き」ということは、どういうことなのか?
学生時代、僕はいくつものコンクールに出場した。
結果は銀賞、銅賞、優秀賞など。
どれも悔しい結果ではあったが、それぞれでとても達成感があった。
それは、一緒に合唱する仲間がいたからだ。
大切な仲間と一緒に合唱ができたこと、それだけでとても充実していた。
この充実は、僕が「合唱」そのものを「崇高なモノ」と認識しているからなのかもしれないし、
合唱ができる場所がないために合唱ができなかったという過去を持っているからなのかもしれない。
では周りはどうだろう。
僕以外の他の人は、どういう思いでコンクールを終えたのかのだろうか?
仲間の様子やSNSの一部を見るだけで、多種多様な思いがあったことが分かった。
多くを占めるのは、金賞で嬉しいだとか、銀賞だけど上位だったから嬉しいだとか、あの審査員の先生が高評価してくれただとか、そのようなものだった。
その背景に、今までの努力が実ったことへの喜びが溢れていることも分かる。
確かにコンクールというものは、各校の涙ぐましい努力の先にあるものなのだから、そのような感情があって当然なのだろう。
だからこそ、わからない。
僕は「合唱が好き」なのだろうか?
様々なスポーツと違って、音楽には明確なルールがない。
例えば僕が「この演奏は凄い」と思っても、審査員の先生方がそう判断しなければ僕が思った結果にはならない。
その逆も然りで、僕があまりよく思わなくても、審査員の先生方が良いと判断すれば結果がつく。
音楽は難しく、繊細なものだ。
でも、楽譜という目印を頼りに、何かを、形の見えない何かを目指すことはできる。
審査員の先生方に好まれる演奏を目指す人もいるだろう。
演奏を聴きに来てくれた、顔も知らない誰かに感動してもらえるような演奏を目指す人もいるだろう。
もちろん、自分たちが満足できる演奏を目指す人もいるだろう。
コンクールの場合は、同じ舞台で同じ天秤にかけられるが、目指している演奏は確実に違う。
それこそが音楽の面白いところだと思う。
色々なカタチがあって、きっとそれでいいんだろう。
僕の考える合唱は、皆の考える合唱とは違うはず。
合唱に携わる人それぞれが、自分にとっての合唱はこういうものだ、こういった合唱が好きなんだという思いを持っていれば、それでいい。
僕はやっぱり、合唱が好きだ。
※本記事は、2017年9月15日に私が書いた文章を現在の自分なりにリメイクしたものです。
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