あせりとは
夜の散歩をしながら思う
「焦りとは?」
と。
昔の自分は常に目にみえない、でも確かにある「なにか」に追われていた。
テストが近くなれば「テスト勉強をしなければ」
部活の大会が近づけば「いい結果を出さなければ」
何時までにこれをやって、何日までにこれをやって・・・・
「テスト」「部活」「スケジュール」
それらは単なるラベルであって、それらを総称した大きな、目に見えない「なにか」に常に追われていた。
いや、正確に言えば今でも追われている。
たまたま今1週間完全な休みができた。
昔の自分なら
「自分のためになる時間にしなければ」
と焦っていただろうと思う。
たまたま今日とある知り合いと話している中で「○○(自分より若手)、あいついいぞ」と言われた。
昔の自分なら
「なにくそ、自分も負けじと成長しなければ」
と焦っていただろうと思う。
それか、自分とそいつを比べて
「おれはあいつにか敵わないし」と諦めるか
「あいつはあいつ。おれはおれ。」と自分で自分に言い聞かせるか
していただろうと思う。
なぜだろう?
今の、いや、今日の自分はなんだか違った。
「うん、そうだね、○○、いいよね」
ただそれだけ。
「なにか」に追われていない
はっきりそれを感じた。
「焦り」とは不安
「焦り」とは心配
「焦り」とは緊張
「焦り」とは劣等感
「焦り」とは比較
「焦り」とは・・・・
自分と誰かを比べ、勝手に「焦り」という名の幻想を創り出していた。
「焦り」とはおそろしいものだ。
時間泥棒がいつのまにか人から時間を奪っているように、
誰かが勝手に自分の身体に「焦り」を植え付けていく。
もちろん、「焦り」そのものも大事だ。
何か得体のしれない「なにか」に追われ、「焦る」から、向上心が湧くし、頑張れることもある。
でも、「頑張ること」がいいことなのではない。
「幸せになること」がいいことで、そのために頑張る必要があるかどうか、という問題なのだろうと思う。
今の自分は焦る必要があるのか?
そりゃ、やるべきことはある。
先を見たら不安なこともある。
力が足りないから、勉強しなければいけないこともある。
でも、大丈夫。
そう心が言っている気がする。
今は今の自分に素直になろう。
この記事へのコメントはありません。