Dancing in the……

住人

夢を見ていた。

長いようで短いようで、深いようで浅いようで。

少し長い夢見を、していた。

書くことについて、書くことを今まで避けてきた。
文章論なんて仰々しいものは、文豪や批評家だけで充分だと斜に構えていたからだろう。
だけど、これは誰に宛てるでもない一人の文章論


紙面に起こせるレベルではないように言葉が出ては消え、出ては消え。
8カ月間、ペンを執ろうと枯渇した文章の井戸の底で窒息しそうだった。
空気にもならない概念を形作り、やっと外に出せるようになったただの言葉を、今日ここに出せること、ありがたく思う。

思えば、書くこと、もとい自分のことを書くことに、今までなんら苦労したことはなかった。
自分の中の「病気・障がい」という、特異な性質。
院内学級や病弱者の暮らしという、「大変だな…」「お大事に」という言葉をもらう異質な体験。
死神に何度も寝首をかかれながらも、運よく生き延びてしまった何か。
自分を組み立てていった、30余年の心身を、誇りに感じている。

一方、病気を抜きにした場での自分はどうだったか。
仕事は休みがち、できるところもあるが、できないところはとことん弱い。
性格も言い出したらきりがないし、振る舞いが原因で何人もの人が離れていった。
そのたびに落ち込みながらも、同じことを繰り返してしまう。
発達障がいを疑ったこともあり、診断を受けたが、結果は白。
(人は誰しも発達障がいの性質に準ずるものをもっているとはいうけれども)

この8か月間、いろいろなことがあった。
体の面では、元の病気は順調に回復しているが、両足の大腿骨が人工関節になった。8月に入れた左足はまだ痛みがある。

仕事の面では、9年間務めた職場を辞めた。休職可能年数の3年という基準を超えたからだ。でも、社会人として9年間(実質6年間)勤められたことは、本当に良いことだった。
そのあと、一つの企業に入った。そこで半年ほど手伝ったが、そこでは体調だけでなく、スキル不足や自分の仕事に向かう姿勢など、体調ではいいわけができないこともあって、肩を叩かれた。
今はまた別の仕事をフルリモートでしている。パートだが、非常に面白い仕事につけている。

プライベートでは、……うん、まぁいろいろあった。

思い返せば、最後2月におどりばを更新してから8カ月。激動だった。
だけど、これは体的な激動ではない。
点滴をしなくなってもうすぐ一年になる。
夜中に40度の熱が出て救急車で運ばれたり、意識がもうろうとなる発作に苦しめられたりしなくなった。
それはとても喜ばしいことだ。
会う人、会う人「良かったね」と言ってくる。親もふとした時にそう言う。

ただ、冷静になって考えてみる。
30云歳男性、パート、実家暮らし、まぁまぁ病弱。
これを見たときに、それを弾き返すほどの何かを今の自分は持っていない。
その現実と顔を合わせたときに、先がいつも暗くなる。
その現実を鏡にしたとき、いつも筆が止まる。

僕が書けなくなったのは、《治ってから》だ。
それも、人の命を引き換えに。

何かを思いついて、「あ、これおどりばに書こう」とメモをする。
毎月26日が近くなると、パソコンの前に座る。
だけど、真っ白なワードが画面に広がるだけ。
指は一切動かず、頭を抱える。
でてきても、単語だ。文節にすらならない。
そして26日がまた過ぎていく。
そのたびに、おどりばにいる意義とか、退去も考えた。
考えただけで、決意は固まらなかった。
ずるずる、ずるずる、ずるずると。


【書けなくてただ勝手に苦しんでいた】

そして、それはほとんど誰にも話せなかった。

唯一、3人に話したことがある。
以下、3人からもらった言葉だ。

「書いてきたということは、それだけ貴方に確実に積み重なっています。貴方の文章は地道に、深く、思考を重ねて作り上げられている。それを今までは素晴らしい感覚だけで作っていた。今は感覚ではなく、それを頭で作り上げようとしているだけ。「あれ?そういえば自分どうやってつくっていたっけ…」と。少し忘れているだけ。書くことをしてきた人間が、書くことを完全に忘れることはできない。なくすことはできない。だから、「あ、書きたいな」と思ったときに書けば良いよ。待てば良いの。私はそれを読むから」

「さらみさんの中には、不幸がなくなったのかもしれない。不幸であればあるほど、筆が乗るタイプなのかも。それはとても面白いことだと思う。人と違う、特異な経験を書いてきたさらみさんが、病気が治ってマジョリティにあるいわゆる一般的な悩みを持つようになった。それが書けないというのは、それはとても興味深い」

「(書けないことが悔しい、と言ったことに対して)それはいいね、その悔しさを燃やすんだ!おどりばでも待ってる」

【待ってる】
この言葉がどれだけ自分にとって救いだったことかわからない。
その言葉でどれだけ自然に言葉が出てきたかしれない。
ううん、言葉はあった。鍵の言葉で、それが文字になったんだと思う。

書けなかった間、おどりばの文章も読めなかった。
だけど、やっとまた読めるようになった。
そして思った。
僕はおどりばにあがってくるみんなの人生が好きだ。
おどりばからもらった大好きな言葉や文章もある。
「サクセスストーリーは聞き飽きた。普通の人の普通の人生を読みたい」
「お葬式を黒字に」
「ぜんぶおどりばにしてやる」「すごい人になりたかった」
「誰も不幸にならないで」
そして、「Dancing in the vampire」

やっと読めるようになった。
今まで読めなかった文章もたくさんある。
もっともっと大好きな言葉やてぇてぇ文章もあるに違いない。

夢を見ていた。
遠い遠い、あったらよかったサクセスストーリーを。

まどろみの中で、少し寂し気にifのストーリーに別れを告げて。

夢の中でひたすら踊っていた。
Dancing in the…

とても楽しかった。
だけど、こっちがいいんだ。
だから、ね、ただいま

sarami

生き意地の汚い人生を 送っています。

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