「忙しい」と「充実」の境目とは?

住人

「忙しい」とは

「こころ」(りっしんべん)を「なくす」(亡くす)

と書く。

やるべきことに追われ、時間に追われ、感情や思いといった「心」が「なくなる」状態を「忙しい」と言うのだろう。

確かに、「忙しい、忙しい」と言っているときは、人として冷たいことを平気でできるし、言っている気がする。

そんななか、今日は、11月3日。文化の日で祝日だ。

祝日だが、午前中は部活、そして午後は学校にいた。

結局帰宅したのは、普段の学校帰りとあまり変わらない時間。

でも、思う、「あー、今日は充実していたな」と。

確かに時間的には、自分の休みはなくなり、学校に関することをやっている。

「充実しているとき」と「忙しいとき」

何が違うのか?

「充実」は「没頭」

「没頭」は「能動的」

「能動的」であるとは「自分の心が動くこと」

つまり、「心がある」から「忙しい」ではない。

そう思う。

すべてのことが常に「自分の心が動くこと」であるはずはない。

やるべきこと

やらなければいけないこと

は必ずある。

でも、同時に「やるべきこと」「やらなければいけないこと」だけだと、心がなくなる

自分がちょっとでも「やりたい!」「これやったらどうなんだろう?」ということに時間を使えることは「充実」につながる。

それは趣味でも、なんでもいいのだろう。

本を読みたい

映画を見たい

彼女と時間を過ごしたい

友達と電話したい

飲みに行きたい

「心」がある「時間」を大切にしよう、改めてそう思った。

PS.

たまたま今回「忙しい」ということをテーマに記事を書こうと思ったら、ちょうど1年前の記事で同じ「忙しい」について書いていたようだ。

しかし、少々とらえ方が違った。

社会の普遍性と自分の変化を感じる。

あかっぱ

よく中学生に間違われます。「見た目はこども、中身もこども」な25歳です。

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