【022】無駄な時間
私は暇よりも忙しい方が好きだ。
何もすることがない時間を楽しいと思えないので、なるべく予定は入れたいし、なるべく空き時間はつくりたくない。
忙しいのが性分なのだと勝手に思っている。
唯一、私が暇を楽しめるのは空港ラウンジでゆっくりする時間くらいで、家で退屈していると嫌気がさし、ボーっとYouTubeを見て疲れてしまう。
そんなときに、あぁ、この時間って無駄だな、と感じる。
せっかくの人生、限りある時間を、もっと有効活用できないだろうか。
そう考えてみれば、意外に身近に無駄な時間があるような気がする。
たとえば加湿器に水を入れる時間とか。
タンクに水がたまるのをしずかに待てず、その間に着替えたり片づけたりといったチャレンジをしてしまう。
それで言えば、ゲームのロード時間は本当に無駄だと思う。
ゲームのロード時間を待つことは、私にとって大の苦手だ。
ただ待つだけかもしれないが、それだけのことができない。
学生時代は周りにゲーム好きが多かったので、自分も友人のやっているゲームをダウンロードしてみたことはあるのだが…
初回ロードが長く、それにうんざりしてアンインストールしてしまった。
時間を奪われることへの変な拒絶意識があるのだろう。
一方で、読書をする時間は有意義だと感じる。
(そういえば、おどりばの筆が早い月は、だいたい読書をした月だ。)
読書に没頭して何時間も経ってしまったとしても、それを後悔することはない。
なんの用事もないのにコンビニに入ってウロウロする時間も、無駄だとは感じない。
なぜだろうか。
自分から進んで費やしている時間は無駄だと感じず、何かによって費やされている時間を無駄だと感じるのかもしれない。
しかしスマホはどうだろう。もはや脳死で弄ってしまっているのではないか。
LINE、Twitter、Facebook、Instagram、YouTube、SmartNewsなど、時間をつぶせるアプリをひたすらにループしている。
YouTubeを見ていて何時間も経つと、どうしようもない絶望を感じる。
Amazonプライムで映画を観ても何も感じないのに。
もしかすると、自分が新しい刺激を得られる時間は、無駄だと感じないのだろうか。
だからゲームのロード時間は何の価値も生まないので無駄だと感じ、
読書をする時間は新しい世界を広げたり、知らない言葉に出会ってそれを身に着けることができたりするので有意義だと感じるのか。
ただそうとも言えないような気もする。
SNSで流行を探ることや、今どきはYouTubeで知らない言葉に出会うことだってある。
そうした時間は有意義だと思いたい。
ただまぁ、紅白歌合戦に初出場するアーティストの半分は知らないし(名前の読みすら分からない)、自分が流行だと思っているものも認知バイアスによって歪んで見えているだけなのかもしれないが。
色々考えると、無駄と有意義の定義はあいまいで、紙一重なのだろうか。
きっと自分が無駄だと思っている時間も、ほかの誰かにとっては有意義なのだろう。
無駄な時間について考えたこの時間は、きっと有意義な時間だったはずだ。
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