【030】君たちは○○○○○か
※この記事に映画のネタバレは含みません※
「君たちはどう生きるか」
そんな問いを唐突に投げかけられた時、私はどう答えればいいだろうか。
人には人の乳酸菌、誰がどう生きたっていい、そんな自由が蔓延したこの時代に、生き方を見つめ直すきっかけを与えてくれているのだろうか。
「どう」という言葉は、前向きな行動に向けた方法への疑問なような気がする。
「君たちはどう生きないか」とはならないだろう。
生きることを前提に、その生き方を考えてみると、自分が書いた最初のおどりばを思い出した。
何のために生きるのか、2021年の自分に比べると、少しずつその意味と対峙できるようになってきた気がする。
最近ふと、人が死ぬことで世の中に与える力は大きいな、と思った。
何かネットで叩かれたり、いじめられたりした人が自殺してしまったら、途端に矛先はそれを仕向けた人たちに向けられる。
悲しいやり合いだなと思う。
誰かを死なせなければ生きていけないという人でもいるのだろうか。
見るだけで、そんな感情が湧き上がってくるほどに。
きっと、自分が多数派にならなければ矛先が自分に向くかもしれないという集団心理が、あらぬ結果を生んでしまうのだろう。
そんな姿形の見えない何かに、とらわれて生きていないだろうか。
人には人の乳酸菌、誰がどう生きたっていい、そんな自由が蔓延したこの時代というのは、もしかすると錯覚なのかもしれない。
戦争に参加しなければいけない、親の仕事を継がなければならない、結婚相手は自分で決められない、そんな時代でないことは確かなはずだが。
だがしかしどうだろう、君たちは何かに縛られていないか。
仲の良い友人が結婚しなくても幸せそうだから、私も。
有名人があのお店行ってたから、私も。
YouTuberが投資した方が良いって言ってたから、私も。
自由が怖い私たちは、上手くいきそうな(いっている)人の真似をして生きているだけなのではないか。
本当に美味しいものを、美味しいと言おう。
本当に良いものを、良いと言おう。
君たちは「君たちはどう生きるか」を読んだことがあるか。
私は、ない。
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