おどっているのか、そうなのか

「自由」が、さまざまなところで奏でられる昨今、本当にそれは自由なのか?と思うことが多々ある。

…こんなことを呟けば、それはそれでじぶんも老害の仲間入りなのかも、と思うけれど、

単純にありがとうも言えない人たちが多いこの社会で、世界では、まだまだこんなの可愛いと思うから

今日だけは失敬。

…と思ったけれど、やっぱりやめて、ここ最近の自分のことを書きます。

少しずつ、こんなふうに、青空が澄んでくる日が多くなったから、夏がようやく終わるのだと安心している。

夏は、嫌いではない。想い合う人の誕生日でもあれば、色々合ったけれど、辛さも何もかもを前向きに考えられる季節だから。

だけど、自分が生まれた冬と比べるとやはり、少し体の動きが鈍くて、考えもまとまりきらないことも多い。

そんな私が、今また1つかべにぶち当たってしまった。

「職業」についての悩みである。

小さい頃から、色々なことに興味のわく人であは合ったけど、前職でカルチャーショックを受けてから、なのか、大学の頃に

モラトリアムをしすぎたせいなのか、よくわからないのだけれど、いい意味での「にげる」を知ったから、そのあと、どのような

底辺な生活が待っているかとか、逆にどのようなパワー感で乗り切ることができれば這い上がることができるのか、わかるから

そして、周りのことをあまり気にしないで、俺は俺、というへんな捻くれ方をしているから、なおさら、どのような結果を選ぼうと

一般的な収入感よりも年相応ではなくても、またキャリア感でなくても、あまりそこまで焦らなくなっている。

(というより、そのあとの血のにじむ努力と、人への接し方と、いずれ人がぶち当たる底なしの闇についての見識を少しだけ持っているから、

社会人がある種の幸せ、を得た後にやってくる虚無感やこれやっとけばよかった感もないから、大器晩成するから、というのがわかっているから)

でも、やっぱり、どれだけ地方の会社だろうと、上下関係があろうと、挨拶や基本的なコミュニケーションや

面倒見、フォロー、努力、前向き、一体感とか、当たり前のことがなってない場所では本当に無理だな、と強く感じてしまう。

とある転職活動で、都内にいくこともWEBで行うこともあって、それなりに話なども合って最終まで行くことは合ったけれど、多分

最終的に判断されるところはそういうところだと思う。

会社って、その中の社会であって、ある種社会ではなくて、でも大小関係なく、社会を回しているのは事実でもあって、すごくジレンマなのだけれど

その会社だけで活躍しているからそれが社会で完璧なのかというとそうでもないし、それを履き違えて、求める側がふりこにかけすぎだなとすごく

強く思ってしまったのがオチで。結局、縁がなかったところには行かなくてよかったと思うし、その方法本当に正しい?というか、正しいかそうでないか

その本質、何か履き違えてない?と会社に思うことが本当に多すぎて、これは会社員に向いてないのでは?と思うことも多々あることで、今回から

気持ち新たに社会保険労務士を改めて目指すことになりそうなのだけれど・・・

お見合いと同じで、人付き合いなんて所詮自分自身のことしか考えないのだから、社会だって結局はそうなのですよって、もっと表立って言えばいいのに

なんだかへんな気遣いばかりで、疲れているというわけです。でも、その疲れている人たちに何かできることはないのか、というような考えが先に

くるから、いつもやさしいんだねと言われるけれど、逆にそう思わないのか?とイラつくくらいの勢いで、最近は本当に、自由を履き違えた

明治時代とはまた違う、オカルト自由主義に向かっていっていて、少し気持ち悪いなと思うのです。

そう思うのは、多分、自分がまた、さらに高みに向かうための

踊り場で踊っているから、踊らされているからなんだなあ、と思いましたと。

思うことは考えることは

たくさんあるけれど。

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t tatsu

山梨在住。あっちいったりこっちいったり、浮き沈みの激しい人生。音楽、本、映画やことばを好みます。多趣味多忙が代名詞。 …「あたりまえ」のことは、そうでもない...

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