Everything gonna be alright!

父に再びガンが見つかった。皮肉にも88歳になる4月15日の誕生日に疑いが発覚。わたしはメンタルの調子を崩すほど動揺してしまった。翌日と翌々日の仕事に行けないほど。4月23日、再検査。5月2日、その結果が出た。肺2ヶ所と肝臓1ヶ所にガンが転移。先生から抗ガン剤治療をすすめられる。「まあ、とりあえずそれで安心だ〜」と思った矢先、なんと父が抗ガン剤投与を拒否! わたしも母も驚いてしまったが、先生は冷静で「じゃあ、家族会議して決めてきて下さい」と提案してくれた。で、会議は5月10日に設定。その前に、とりあえず意志を伝えるため、父と母に手紙を書いた。父の自然に任せたいという意思を尊重するという内容。それが実家の両親に届いたのは5月5日のこと。家族会議当日には母も考えがまとまっていて、彼女としては、やはり父に抗ガン剤を打ってほしいという意思だった。もう50年以上寄り添っているのだ。一日でも長く生きてほしいのは当たり前。わたしはといえば決心できず、この時には一転、父に抗ガン剤治療をしてもらえないかと考えていた。
午後4時半に居間のテーブルに3人座わって意見交換。まず、わたしが気持ちを言った、この通りだ。「抗ガン剤治療してほしい。理由としてガンを放置して苦しかったり、激痛が走ったりするはずだから、そんな辛い思いをお父さんにしてほしくない。2年でも3年でも長生きしてヨ。あと、さ(仮名/孫)の成長も楽しみでしょう。もうすぐ成人するし、できれば彼女が結婚する姿を見てほしいのよ」そんなことを話した。次は母、同じく、抗ガン剤治療受けてよ/ストーマ(人工肛門)の処理、人にやらせたくないでしょう/プライドあるのわかっているから、そうあってほしい/ストーマの処理を自分でやるっていう気持ちは認知症の進行を遅らせてくれると思うの/一日でも長く一緒にいたい!/以上。
触れておくのを忘れていたが、父が直腸ガンになった際(初めてのガンで)、人工肛門にせざるを得なかった。その後、2度のガン再発を経て、認知症認定。まったくすべてを忘れ去った状況ではない。なんとか食い止められている。しかし、諸々ムツカシイ状況だ。それと同時進行で3度目のガン再発とは……。0h、神よ! 今まで幸せに暮らしてきたツケなのか? 残酷すぎやしないか?
さて。話を巻き戻す、父の順番だ。このターンはキツかった。父は治療のことには触れず、「きみらのためじゃないが、お金は貯めている」という素っ頓狂なことを繰り返し言った。わたしは父が哀れすぎて母のことも見つめられなかった。話の折を見て抗ガン剤治療のことに触れると「いろいろ言われたくない。元気だから心配するな。なるようにしかならない」などと少し苛立った様子で語った。以前は温厚な父だったが、認知症になって気が短くなった。どうにかして3人が納得する着地点を見つけなければならないとわたしは父を説得。でも、父は頑な。そこで気づいたのだが我々家族3人だけで乗り越えようとしていないか? わたしには妻と娘がいる。彼女らに助言をもらって参考にすればいい。あと主治区に丸投げするくらいの度胸も必要だ。所詮わたしたちは素人。どうにかできる問題ではないのだ。頼るしかない。全部頼るといういい加減さも必要。先生よ、あとは頼んだ。
今は5月15日午後、明日、病院で家族会議の結果を伝える。主治医には以下を質問予定。
①放っておくとどーなるか?
②抗ガン剤で予測される副作用は?
③緩和ケアの良い点、悪い点は?
④緩和ケア中、ストーマの処理自分でできる?
⑤緩和ケアを受けた場合、入院が必須?
こんなところだろうか。診察で父の考えが変わって抗ガン剤打つってならないかなァ。でも、どんな選択をしても後悔しないはずはない。どうせ後悔するなら……。母の想いを尊重するべきなのかな。父の尊厳も守らないとな。次回のおどりば投稿までに答えは出てる。静かにそれを受け入れる準備をしておこう。
後日談
5月16日、診察。先生に相談するなかで88歳の高齢者に抗ガン剤が効くのか、正直不安である、効果がない可能性も大いにあること伝えられた。ガンは良くならない。いかに進行を遅らせて寿命を延ばせるかの治療になると。父は初志貫徹で延命治療してまで生きたくない、自然に暮らしたいという気持ちを吐露。わたしにもその気持ちを尊重したい!と気持ちが存在した。死は間近、できることは限られている。母はどうだろうか。父がいたので直接には聞けない。またLINEでもしよう。大丈夫、きっとすべてうまくいく。
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