若さという名の免罪符
「若いのにすごいね」
いつしか、そう言われることも少なくなってきた。25歳。社会的に見ればペーペーに2乗する程度の齢かもしれないけれど、確実にお褒めの言葉を頂戴する機会は減ってきている。以前も似たようなことを書いたけれど、相も変わらず、この「若い」「若くない」の間で苦しんでいる。
ハタチくらいの頃から、地域だとかソーシャルだとか、そんな文脈の活動に参加している。イベントごとに参加すれば、同世代を見つけるほうが難しい。そのたび「若いのにすごいね」を浴びてきた。当時は多少なり尖っていたせいか「別にすごくなんかないし」だの「”若いのに”ってなんだよ」だの思うこともあったけれど、徐々に自分より若くて目を輝かせた人たちが現れる機会が増えて、自分が若さだけでスポットを浴びることはなくなった。「若いのにすごいね」は有限なのである。
ここ5年くらいで、僕の暮らす長野は学生たちの活動がとてもさかんになって、いまや小難しい議題のトークイベントに高校生が参加することも少なくない。5年前にはハタチが最年少だったような場に、高校生が何人も集まっている。すごいことだ。「若いのにすごい」。あら、気づけば言う側になっているぞ。
こうした地域の変化は、本当に嬉しい。そもそも僕は「地域が好きだから」とか「もっと活発な地域に!」とか崇高な理由のもとで動いてきたわけじゃなくて、誰しもどこかに居場所があってほしいと思っていて、僕も自分が過ごしやすい環境を求めたりしていたら、学校だとか職場以外の場にいる機会が増えただけだ。だから、なんとなくいまの環境に疑問を持っている若い人たちが足を運べる場所が増えてくれるのは、本当に嬉しい。
少し話が逸れた。そう、僕は若くないのだ。いや、若くないのだろうか。年齢だけを見れば、もしかしたら若くないのかもしれないのだけど、僕の持っている力なんて青二才も甚だしいのではないか。
いや、まあ、仕事ができないとか、考えが及んでないとか、そんなことはない気もしているのだけれど…。これは別に調子に乗っているわけではなくて、ある程度評価していただいている実感があったうえで申し上げている次第ではございますが、いえ、それに甘んじているわけではありませぬよ。本当に、劣っていると思っている。ううん、自信がないわけでもない。でも、もっと、もっとできなきゃいけないんだ。
若いだけで許されるどころか、称賛されていたあの頃とはもう違う。僕が持っていた若さという名の免罪符は、期限切れ間近だ。
若さが自分のもとからなくなったとき、いまの僕には、なにが残るだろうか。
Age is just a number なので、そういうことから解放されるとなんか楽になりますよ〜
何歳になっても、なんでもやりたいことやったらいいです\( ˆoˆ )/♡
若さという名の免罪符、刺さりすぎる。
私はもう若くないなんて思ってしまうけど、諸先輩方から見ればぺーぺーだ。
そのギャップがなんとも悩ましい。
私の若さという名の免罪符ももうすぐ切れると思う。
それがわくわくもするし、すこし怖いとも思う。
そんなことをはたと気付かせてくれた記事でした。
「若いのに」苦労しているんだね、頑張っているんだね、凄いね、だなんて言われていたのだけれど、それって多分25がギリギリなんだと思う。30代や40代に成ったらどんな生い立ちであっても何とか生き抜かなきゃならなない。それが普通になって来るんじゃと思う。でもね、私は不思議とはるちゃんには「若いから凄い」とは思わないんだよね。はるちゃんははるちゃんだから素敵なんだなーって感じです。語彙力のなさ…(笑)