「がんばる」の定義
がんばるってなんだろう。
今、自分の感情に向き合う余裕がなくて、自分は何を考えているのかわからなくて。
自分で自分のことがわからないことが怖い。自分でも気づかないうちにわたしの言葉の先は尖っていて、誰かを刺してしまうんじゃないかって思うと、何も言えなくなる。
今、わたしはある団体に入っていて、10人で、ある目標に向かってがんばっています。去年から1年間、ずっとずっとやりたかったこと。だから、絶対に手を抜きたくなくて。
この10人で走り始めてから、2ヶ月が経ちました。
毎日がセンター直前の受験生みたいな生活で、1日のほとんどはそのことで頭がいっぱい。
正直、目の前のことに夢中になってしまって、最近はふと今私は何に向かっているんだろうと思ってしまう。
「がんばってお金になるわけでもないし、教師の仕事に役立つ力がつくわけでもないよね。」
そう親に小言を言われて、今がんばっていることを、一緒に頑張っている仲間を否定されているようで、悔しかったし腹が立ったけど、結局何も言い返せなかった。
でもその言葉がずっと、ぐるぐるしている。
なんでわたし、こんなに頑張ってるんだろう。
自分の感情に向き合う時間は無駄だと思ってこの2ヶ月過ごしてきた。
とにかく手を、足を動かさなきゃ。泣くより、弱音を吐くより先にやることがある。
そう思ってたけど最近、自分の気持ちも、周りの人の気持ちもわからなくなっちゃうくらいなら、頑張るのをやめたほうがいいのかなとも思い始めてきた。
わたしが頑張っている本当の目的ってなんだろう。
結果が全てだと思ってやってきたけど、本当にそうなのかな。
結果が全てではないって思うのは、結果が出ないことから目を背けているだけなんじゃないか。
わたしはきっと、0or120思考だから、わたしの「がんばる」の定義はきっと他の人とはズレている。たぶんわたしの「がんばる」は、誰かの「がんばりすぎ」なのかもしれない。
8割くらいの力で頑張れれば、ちょうどいいのに。
がんばりすぎて、人のことを大切にできなくなるのは本末転倒だと思う。
でも、やると決めたこと、やると言ったことは絶対にやるんだ。
結果が出なくても、今日も明日も変わらず、毎日「がんばる」を続けること。
「がんばらないことをがんばるんだよ。」って言葉に救われたこともあるけど、わたしはやっぱり、がんばることをがんばりたい。
がんばるって楽しいし、がんばるのは好き。
たぶんわたしは、「がんばる」中毒になっている。
正直、0or120思考はいろいろな人に迷惑をかけてしまうと思う。
ちょっと反省しているけど、わたしはもっと120を150に、200にしたい。自分はもっとできる。
迷うし悩むけど、そのネガティブな気持ちすらパワーに変えちゃうのはわたしの悪いところであり、たぶん、1番のいいところだ。
今日は思考回路がとっても散らかっている。
もっと整理して深く考えたいけど、今はとりあえずこれだけ。
考えるのは全部落ちついてからにしようかな。
短いけど、今日のおどりばはおしまい!もっとがんばろっと!
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