距離をとる、距離を置く

住人

(何をビクビクしてるんだ)

(怖がってちゃ何もできやしない。)

本当に、そうだろうか?

確かに、恐いもの知らずは格好いい。

一見、たくましくて野生的で、なんだかリーダーっぽい。

いやでも、待てよ。
今は、最大限恐れた方が良いのでは。。。?

むしろ、恐るべき事態を想像できる力が大切じゃないか?

「恐れることの、大切さ」を切に感じている。
=====

ここ最近、気づいたことがある。
「リスク管理」の感覚は、「価値観」に直結している。

例えば、身を守るために手を洗うのが習慣になっている人もいれば、
別に手なんて洗わなくたって気にしない、
バイ菌くらいで死にやしないさ、との考えのタイプの人もいる。

これは一種の価値観の違い、だ。

大抵の場合、この手洗いの習慣を見れば、
他の日常生活でも「気にする」「気にしない」が繋がっている。
逆から見れば、潔癖症としてレッテルを貼っているのだろう。

これは個人の責任だとしたら、それこそ個人の自由だ。

問題は、いま世の中で起きていることが、
個人の枠を超えた、「連帯責任」であるところ。
ある一定の人の集まりや家族・団体・地域・国・そして世界規模で。

こんな事態は非常に珍しい。

これまでは「悪」でなかったことが、
なんでもなかった「無邪気」な素行が、
誰かを傷つけ迷惑をかける「悪の元凶」となり得る。

親しい人や家族にだって、遠方に会いに行くこと、
友達と集まって楽しむこと、さえも。
非常に不思議な世の中だ。

「モラル」ってなんだ、基準ってなんだ。

今、まさに「目に見えない敵」と世界が闘っている今、
ある程度ストレスを貯めない程度に気にしないこともバランスだが、
それは、最大限に安心できる環境を整えた上で、だ。

鍵は、「想像力」。
自分が行った行動が、
その先にどのように周囲に影響を及ぼすのか、
考えられる力、恐れられるか。

「ま、いっか」が通用しない。

「まー、これくらい」が通用しない。

恐れるなら、恐れておいた方がいい。

楽しむ時は思いっきり楽しんでいい。

が、最大限に恐れて、環境を整えてから。

だって今、世界は緩み始めているが、
緩んでいるだけで、対策としては何も変わっていない。
緩んだ所で、解決できる手段は整っていない。

つまり、【今、最も危険な時期である。】

=====

今までの付き合いでは何とも思わなかったであろう人が、
この価値観の違いで理解出来ないこともあるのではないか。

自分は正直、驚くべき感覚の人をみて戸惑っている。
思考がついていかなくて、目に余り、付き合いきれないと感じてしまう。

そっと、距離をとることにしよう。

社会的距離をとる、という言葉は非常によく出来ていますね。まさに。

そうして、気持ち的にも距離を置く。
それも、恐れた結果。自分や大切な人を守るために。判断する。

切ないけれど、そういうこと。

あなたや、あなたの周りはいかがですか?

明らかに、新しい日常。

ニューノーマルな中で、心地よい場所を見つけたい。

こもれび -komorebi-

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