第3の大人
大学時代にmixiというSNSが流行った。
訪問した人が分かる足跡機能があったり、趣味ごとのコミュニティ機能があったりと、知らない人とも繋がりやすいSNSだった。
mixi上での友達のことをマイミクと呼んだ。
最初は、住んでいた寮や中高の友人たちがマイミクになったが、次第に、そこで出会う新たなマイミクも増えていった。
僕はmixiに結構ハマった。
懐かしい友人や新しく出会う人とメッセやコメントでやりとりするのが楽しかった。
日記もよく書いたり、ガラケーで撮った写真をたくさんアップしたりもしていた。
いかにみんなに笑ってもらえるか、頭をひねり尽くして文章を書き、面白い写真を撮った。
mixiでは変な大人にたくさん出会った。
親と子ほど離れているのに「ノリが合いそうですね」と下ネタ多めで接してくるマダム。
メイナード・ジェームス・キーナンという男を神と崇めるお兄さん。
子どもがいて不倫をし離婚して、自暴自棄になっているおじさん。
彼ら彼女らは、僕の日記や写真の投稿に、高頻度で反応をしてくれた。
同世代の友人が「いいね」、もしくは一言二言のコメントなのに対し、
この大人たちは、人生経験を感じさせる知性とユーモアに富んだ、会話になる文章でコメントをしてくれた。
僕は、この大人たちとネット上でつながっていることが嬉しかった。
このマイミクの大人たちは、大抵ふざけたことばかり言っていたが、真面目な話もしてくれた。
ある日、当時誰にも言いづらい(今思えば些細な)悩みがあった時、この大人の一人にメッセをした。
長い長い文章に、長い長い文章で、真剣に返してくれた。
もしよければと、見知らぬ僕に、いつでも相談できるよう電話番号を教えてくれた。
僕は、この知らない大人に支えられ、当時の危機を乗り越えることができた。
「第3の大人」
僕はこのマイミクの大人たちのことをそんな存在だと思っている。
高校まで、家族(親)や先生以外の大人との関係を、意識したことがなかった。
そもそも、家族や先生以外の大人と、出会い、交流する機会自体がなかった。
子どもの頃に関わる大人は、ほぼ役割が固定されてしまっている。
そのほとんどが、教える側と教わる側という役割だ。
でも、それを取っ払った大人との関係が、生きていく上で必要なのではないかと、最近思う。
mixiで出会った「第3の大人」たちは、世間の大人が背負う役割を一時的に解放しているような状態であった。
いい大人を演じていないことが心地良かった。
先ほど書いたとおり、理想の大人とするには少しハードルが高そうな人たちである(笑)
だけど、僕は彼らが好きだった。
彼らは、大人でありながら、僕のことを人としてみて接してくれたように感じた。
最近、前職時代の仲の良い一人の同期と電話で話した。
数ヶ月ぶりに近況を共有した。
彼は、仕事で地元の高校生と交流する機会があり、その時に知り合った男子生徒とラインで進路の話をしたりしているとのことだった。
僕も最近、愚痴聞き屋のラインでとある高校生のお悩みをテーマにやりとりをしている話をした。
自分たちも、「第3の大人」になるかもしれない。
自分をよく見せようとせず、誰に対しても、人として接することができる大人でありたい。
「第3の大人」
ぼくはそういう人に出会い始めたのは大学の4年からです。
それこそsoshiさんのような
でも、そこからの数年で自分自身、すごく人として成長できたと思います(^^)
そしてなにより自分のやりたいことがはっきりしたなって思います。
学校現場に携わっていながら言うのもあれですが、学校だけではこどもたちは育たないと思います。
第3の大人といかにかかわれる場を作れるかが大切ですね