涙もろさについて。
「せんせい、泣いてもいい?」
「いいよ、大丈夫だよ」
何か悲しいことがあったとき、幼稚園児だったわたしは、担任の先生にこうしていちいち許可をとって泣いていたという。
小さい頃から、わたしはとても涙もろかった。
学校の先生の異動、親友の転校、うちにホームステイしていた外国人のお姉さんお兄さんとの別れの場面なんかでは、ぴーぴー泣いていたし、
もちろん、本や映画や音楽に感動して泣くことは日常茶飯事。服がびしょびしょに濡れてしまうくらいによく泣いていた。
だから、感受性が豊かだね、鋭いんだね、と言われることもかなり多かったと思う。
それに加えて、先生と話しているとすぐに涙目になってしまったり、誰かが怒られているのを見てつられて泣いてしまうこともよくあった。
泣きたくないのに、涙が出てしまう。
それに気づいたとき、やはりどうやらわたしは人と比べて涙もろいのだと自分自身で認識するようになっていた。
しかし涙もろさというのは、えてしてマイナスなものに捉えられる。
小さい頃の泣き虫というのはまだどこか許されていたけれど、大人になればなるほどそれは許されない。世間的に、だ。
わたしの涙もろさは中学、高校、大学、社会人になった今でも健在で、むしろ、悪化しているといったほうが正しいのかもしれない。
ある強い思いがあって、それを人に伝えようとすると、思いが胸に詰まって言葉にはならず、涙になって溢れ出てしまうという現象に悩まされている。今もずっと。
大学の頃から、世の中の理不尽な出来事に憤りを感じてわんわん泣いてしまったり、誰かに感情を入れ込みすぎてその人の悲しみを背負ってしまうことが増えた。
就活でも、面接中に泣いてしまったことが何度かあった。今働いている会社の社長面接でも大号泣した。上司との1on1で責められているわけでもないのに涙目になるのは今でも直らない。
自分でも泣きたくないのに勝手に涙が止まらなくて、それによって泣かせてしまったと相手に気を遣わせてしまうから、本当に申し訳ないと思う。
大人になればなるほど、わたしの涙もろさはどんどんわたし自身の生きづらさを増幅させていった。
心配されるのも、好奇の目で見られるのも嫌で、「涙が出るのはわたしの場合反射みたいなものなので、気にしないでください」なんてよくわからない言いわけをしている。
本当に、厄介だ。
感受性が豊かなことを褒めてくれる人はたくさんいるし、今は運よく周りの人に受け入れてもらえている(と思っている)けれど、すぐに泣いてしまうことをよく思わない人だってたくさんいるはずで。
「泣けば許されると思ってるんだろう」
「周りの人たちが心配して優しくしてくれるもんね」
「好感度あげようとしてるんじゃない?」
そんな視線を感じたことだって、今までの人生、何度かある。
涙は女の武器、なんて言うけれど、だから泣いているわけではもちろんない。むしろ、そんなことを言う人も実践している女の人にも激しい嫌悪感を抱く。媚びを売っているつもりは毛頭ない。泣けば許されるとも、思っていない。一緒にしないでほしい。
でも違うんです。と言っても、わかってもらえる自信はない。だって、いい大人なのにすぐに涙を流してしまうことは事実で、世の中ではそれが悪いこと、恥ずかしいことだとされているから。
だからできるだけ我慢しなきゃ。泣かないようにしなきゃ。
自分でも恥ずかしいし直したいと思う一方で、思えば思うほど自分を否定するようで結局悲しくなってしまうから、もうどうしたらいいもんかと頭を抱える。
そんな感じで23年間生きてきた。
涙もろいって、全然いいことない。
そう思っていたのだけど、このあいだ、ひょんなタイミングではっとしたことがあった。
それは、プレミアムフライデーで15時に退社し、新宿のバルト9で映画『天気の子』を観ていたときのこと。
ネタばれになってしまうので内容の詳細に触れることはしないし、映画は最高に素晴らしかったのだけど、例によって号泣しながらわたしは違うことを考えていた。
「きれいなものを見て、きれいだなと泣けるのって、しあわせだ」
大画面に映し出されたうつくしい景色。それを目の当たりにしたとき、つう、と自然に涙があふれて止まらなかった。
きれいだと感じられて、理屈などなく涙を流せるこの感受性が、急にとても愛おしく感じたのだ。
映画や本、舞台、音楽、好きな人との会話、誕生日のサプライズ、家族からの手紙。
生きているなかでうれしいや楽しい、好きだという思いがあふれて流してきた涙もたくさんあったことを、今更になって思い出した。
大人になって、子どもの頃と同じように自分の感情に素直に涙を流せることがどれだけ難しくて、どれだけしあわせなことか。
涙もろさのマイナスな側面に引っ張られすぎて、そんなこともよくわからなくなっていたけれど、泣けることをうれしいと思えたことが、何だかとてもうれしかった。
これから先の人生もきっと、涙もろいことで傷ついたり恥ずかしい思いをすることは免れない。誰かに白い目で見られたり、またこの自分の性質に嫌気がさすこともあるだろう。
でも、あふれる感情に素直に泣ける自分を、自分だけは認めていてあげたいなと思った。きっとそうじゃなくなったら、いよいよわたしはおわりだから。
涙が流せるうちは、わたしはまだ大丈夫。
そう心において、また明日からの7日間を生きていこうと思う。
こんにちは。ゆうりと申します。わたしもすぐ泣いてしまうことがすごく嫌で、感動している時ならまだしも、腹が立ったときに泣いてしまいます。保育士なので、職場で泣いてしまい、園長に怒られることも多々あります(笑)
感動して、それを涙として表現出来る人って、なかなかいないと思います。なので、あきさんの長所ですね!そして、映画を見て感涙している時に、気付くことが出来たことも素晴らしいと思います。どうか、どんな時であれ、涙した時のあきさんの心や感情を、大切にしていってほしいなと、あきさんの文章を拝読して思いました。
ゆうりさん
はじめまして。コメントうれしいです、ありがとうございます。
保育士さんなのですね!腹が立ったとき、泣いてしまうのよくわかります。何か伝えたいことがあるのに上手く伝わらなかったり、思うようにいかないと憤りと悔しさでしかめっ面をしながら泣いてしまうこと、ありますよね。
長所と言っていただけてうれしいです。。ゆうりさんの最後の一文に、思わずじーんとしてしまいました。すてきな言葉をくださり、ありがとうございます。明日も頑張れます◎
はじめまして、しえさんと申します。
「きれいなものを見て、きれいだなと泣けるのって、しあわせだ」
この一文にじわっときました。
あきさんはずっと涙もろさをマイナスに捉えられていたとのこと。
そして、それが映画をきっかけに変化したというのはとても素敵だなと思いました。
わたしはむしろ涙を上手に流せませんでした。
悲しいときに、悲しいはずなのに涙が流せなくて、
ずっと悲しいという気持ちが漂い、あの時ちゃんと涙を流せていたら…と思うこと多々ありです。
ちゃんと涙が流せることは素敵なことだと、わたしは思います。
大人になって、子どもの頃と同じように自分の感情に素直に涙を流せることがどれだけ難しくて、どれだけしあわせなことか。
この文章、とても共感出来た。
そうね。本当にそうだと思うよ。
私も涙脆く、馬鹿みたいに泣いちゃうじゃよな。
周りにどう思われているかを気にしすぎて苦しくなることも多々あったけれど、「これが私なんじゃ」と言葉にすると生きやすく成りました◎