踊り場じゃ おどれない

住人

”おどりば” でお過ごしのみなさん。”おどりば” を読んでくださっているみなさん。早速ではありますが、みなさんに謝らなければなりません。

”おどりば” という空間をつくり、大家を名乗っている人間でありながら、約2ヶ月間にわたり ”おどりば” から離れてしまっていました。ご心配、ご迷惑をおかけしてしまい、本当に申し訳ありません。

今回は、その経緯とこの2ヶ月間を思い返して感じたことを、自戒を込めて書いてみたいと思います。読んでいただけると幸いです。

 

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なぜ、おどりばから離れてしまったか。
結論から申し上げると、日々を正常(なふりをして)に過ごすためだったと思います。

9月に遡ります。本業である会社の業務が佳境を迎え、自宅と職場とコンビニの3箇所を往復するだけの日々が続きました。人生でも最も忙しく稼働していた(起きていた)1ヶ月だったように思います。下旬には落ち着くと予想していたものの、その後も慌ただしさは続き、10月に入っても仕事へ頭を使う時間が多くなっていました。

9/20に長野市中央通り沿いにオープンした『HAKKO MONZEN』。長野で生産・消費がさかんな発酵食品をアレンジした創作料理を提供。店舗のオープンってめちゃくちゃ大変であることを学びました。

その過程で迎えた10月1日。おどりばの更新の当番が回ってきたわけですが、余裕のなさがよく伝わってくる内容です。おどりばのことを考えられていないことに気づきながらも、この場では向き合うことなく「別の媒体で更新する」と締めくくっています。結局、10月中にnoteで おどりば のことを書くことはできませんでした。ごめんなさい。

10月に入っても おどりば に気持ちを傾けることができなかったのは、想定以上に忙しい日々が続いたことに加え、いま思うと9月の疲れが後を引いていたように感じます。しかしながら、一番の原因は「台風」でした。

10月中旬に日本に上陸した台風19号は、僕の住む長野市にも大きな爪痕を残していきました。家族や自宅に影響はなかったものの、少し離れたところでは、豪雨とそれに伴う千曲川決壊によって、とてつもない被害が及んでしまいました。被災、を身近に感じたのは、僕の人生で初めてのことです。

SNSを開けば知人から被災の知らせが次々と目に映る状況に、「なにかしなければいけない」と当事者意識が芽生えながらも、正直なところメンタルの弱い自分は完全に参ってしまっていました。それでも自分に協力を求めてくれた人がいて、被災地の農業を再建するプロジェクトを準備中です。

千曲川が決壊したポイントの周辺は「アップルライン」の愛称でも親しまれるりんごの生産が盛んな地域。農業再建のための長期的なプロジェクトを立ち上げます。ロゴは06号室のrokuさんに作っていただきました。

家庭があって、仕事があって、自分の暮らす地域が苦しい状況に置かれて。なかなか立ち止まることのできない日々を過ごすなかで、文字通り立ち止まる環境である おどりば から、距離を取るようになってしまいました。

自分で生み出しておきながらこんなことを言うのはなんですが、 おどりば というのは、極めて心的コストを要します。立ち止まって、強く自分に問いかける。その行為の意味の大きさを知っているからこそ おどりば をつくったわけですが、「いま立ち止まったら長く動けなくなる」のを経験上察知してしまい、この2ヶ月間おどりばについてほぼ言及せず、特に10月後半以降は連絡などにもお答えすることができなくなってしまいました。

 

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10月末。お休みをいただいて、2泊3日で家族旅行してきました。丸2日PCを開かず、しっかり大切な人と過ごす時間をつくることができました。それはいまの自分を俯瞰して見つめる時間でもあって、旅のなかで強く気づいたことがあります。”おどりば” を離れた自分はいま、”踊り場” にいる、ということです。

神社にいっぱい行きましたが、そのたび「ちゃんとお参りして偉いでしょ」って言ってました。かわいい。

なにかに向かうように、ただ、なにに向かうかもわからず、人生は続いていきます。その不透明ながらも積み重ねていく日々を 階段 に例えたとすれば、その道程はただ石段が続くだけではなく、足を止め自身と向き合う ”踊り場” があるはずです。

視点は、階段の先から、足元へ。ここまでの道程はどうたったろうか。これからどこへ、どう向かっていくのだろうか。そうして向き合う瞬間が誰しもあるはずです。僕は ”踊り場” での時間は貴重なものであると思っていますが、ただ、自分で自分のなかへ潜る行為というのは、とても暗く息苦しいもので、正しく向き合うというのは、とても難しいものです。

こんなことで悩んでいていいのだろうか。立ち止まっていていいのだろうか。どこからともなく向けられる(ように感じる)視線に耐えながら、それでも次の段差に足を伸ばせるその日を待ちながらも、堕ちていくような感覚が、いつかの僕にはありました。僕は結果として浮かび上がってくることができたけれど、それは多くの人たちが支えてくれたおかげです。

それぞれの ”踊り場” を、ゆるやかに、互いを肯定し合いながらつなぐことで、それぞれの抱く想いをかたちにして、次の段に足を掛けられるように。そんなやわらかな願いを込めて、僕はこの空間を ”おどりば” と名付けました。

 

 

”おどりば” を離れて、立ち止まる時間をもらって。僕はいま1人で藻掻くように ”踊り場” にいて、自分と向き合いきれずに日々を過ごしてしまっている。前に進むために ”おどりば” から離れたはずが、その選択こそ、前に進むことから遠ざかっていることに気づきました。自分で ”おどりば” をつくっておきながら、”おどりば” から距離を置くことで、その意味や大切さを感じることができました。

 

僕が勝手に離れてしまっているあいだにも、”おどりば” では言葉が紡がれ続けていました。”おどりば” を通じて新たな場が生まれていたり、”おどりば” の在り方を住人の方々が考えてくれていました。申し訳ない気持ちとともに、本当に感謝しています。

改めまして、みなさんには大変ご迷惑をおかけしてしまい、本当にすみませんでした。寄りかかっていい空間をつくったはずが、勝手に潰れてしまっていました。今後については(前回更新の繰り返しになりますが)みなさんと一緒に在り方や運営を考えていきたいと思います。

 

2019年11月1日
01号室 ハタコシ

 

ハタコシ

おどりばの大家です。深層の想いをともに捜しに。

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