卒業式

住人


本日、うちの学校では卒業式が挙行された。

コロナの影響で卒業式さえもできない学校がたくさんある中で、卒業式ができるだけでもありがたい、そう思おうと自分に言い聞かせる。

もっと言えば、学校は休校になっただけで生活的な危機はない。けれど、ほかの職業ではもっともっと苦しんでる人がいる。だから、学校ばかり被害者ぶることはできない、そうわかっている。



でも悔しい。



この二度と戻らない2週間が奪われたことが。









そんな中でも、こどもたちの笑顔が素敵すぎた。

なんでこんなにも清々しいのだろう。

なんでこんなにも他人の心に迫ってくるものがあるのだろう。










そんな卒業生が唯一「これだけは」ということで歌った曲がある。

「群青」

その歌詞の中にこんな一説がある。






「あたりまえが幸せと知った」






これ以上なく、今にぴったりの言葉だ、と思った。








あたりまえ(普段の日常)は、あたりまえでない

そんなこと、あたりまえのことだけど、でも、あたりまえでなくなってはじめてそのことに気づく。







この休校中の2週間。学校にこどもがいなくなって初めて気づく。

「あ、自分はどれだけこどもたちとかかわることで、”楽しさ”をもらっていたんだろう」と。




正直この2週間は「楽」ではあった。
やれることも限られてるし、早く帰れって雰囲気もあってこの1年で初めてくらいにほぼ定時で帰れたし。




でも、「楽しく」はなかった。正直暇。






やっぱり自分は「人とかかわること」が好きなんだと。

行事や大会の感動もあるけど、それ以上に普段の何気ない会話や給食が「楽しい」んだと。






こどもたちも似た部分があるのだと思う。





友達といて楽しい。

お世話になった先生といて楽しい。

そして、別れが惜しい。





だから、そんな人の顔はなんだか惹かれるものがある。



人とかかわるって、難しい。それもこの1年で痛感した。でも、だからうまくいけば「楽しい」


人間の悩みの80%は人間関係

なんて言うけど、逆にそれがうまくいけばこんなに幸せなことはない。


今、自分は、幸せな1年だったな、と思う。
と同時に、これからもそんな1年1年を送りたいなと、切に思う。




この1年、出会ったすべての人に感謝!!


あかっぱ

よく中学生に間違われます。「見た目はこども、中身もこども」な25歳です。

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