読みたい本を読もう。
先日、久しぶりに友達と飲みに行った。
その友達は大学から大学院まで、一番長く一緒に時を過ごしてきた奴。
そして同時に、ぼくが同期の中でも一番に尊敬する奴。
そいつは、「できる人」特有の自信や、なんというのだろう、圧というかオーラというかみたいなのがない。
一見すると平凡そう。
でも、その実、めちゃくちゃ考えていて、他人の気持ちがわかる奴。
ぼくが持ってない、足りない、と思う部分を持っている。だから「すごい」と思う。
飲み会の後、久しぶりにそいつの家に泊めさせてもらった。
本が置いてある。
ちなみに、そいつは学生の時から本が好きだ。
物理学の本。
そいつは、それを読んで純粋に「楽しい」という。
に対して、ぼくは絶対自分から進んで物理学の本を読もうとはしない。
高校でテストのため、大学で教員免許を取るため、そうした「目的」があれば自分は勉強する。
でも、ただ単純に「楽しいから」という理由で物理学の本を開いたことはない。
同じ理系の自分としては、自然とそういう本を読む人のほうが「すごい」と思ってしまう。何かの目的のために「学ぶ」のではなく、嗜好のレベルで「学んで」いるから。高校の部活で、どんなにきつい練習をしても居残りで練習をするのが苦でない奴、みたいな。わかりやすい例かわからないが。
対する、ぼくは、読むのは決まって小説。こどもたちに教えてもらった本が案外ハマる。
それだけじゃない。そいつは、趣味も幅広くて、人として魅力があるように見える。ぼくからすると。
ないものねだり。
そんなのはわかってる。
他人と比べたって意味がない。
結局は今の自分の現状を受け入れて、その中で、自分のベストを尽くすしかない。
………
と、同じことを今日、クラスの子が、個性の大切さを話した校長講話の感想で書いていた。サッカーで海外に留学している同じクラスのやつと比べて、自分は学校の部活でさえ苦労しているのに、と。でも、今の自分にできることをやろうと。
自分の半分くらいの年。普段はそんなことを感じさせないような子でさえ、自分と他人を比べて苦しんでいる。そして、それを自覚して受け入れている。
すごいなと思う。
‥‥‥‥…
昔、本好きな知り合いにこんなことを聞いたことがある。
「ぼく、どうしても本って読めないんですよね。本読んだ方がいいってのはわかっるんですけど。どうしたらいいですかね?」
するとその人は一言。
「今は時期じゃないのかもね」
今思えば当たり前だが、何か目的があるわけでもないのに無理に読んでもなんにも自分のためにならない。もちろん、論文を書くために論文を読む、といったように目的がある場合は別かもしれない。
でも、そうでないなら無理しないでいいんじゃない?というその人の言葉はその時の自分にとっては狐につままれたような気分になったのを覚えている。
………
読書にまつわる、そんなあれこれを考えながら、今日もこどもにおすすめされた小説を読んで寝ようと思う。
だってそれが今の自分にとっては楽しいから。
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