生まれ育った環境
ぼくは我ながら基本的に怒らない性格だと思う。
良くも悪くも。
まずそもそも「怒り」を感じるのが鈍いのかなと思う。
とはいえ、もちろんなにかしらでちょっとイラっとすることはある。
でも、「まあいっか」って思ったり、少ししたらそこまででもなくなる。むしろ、それを伝えてその人が嫌な気持ちになるくらいなら自分で抱えておけばいいって思っちゃう。
そもそも「怒る」ってエネルギーがいることだと思う。だからぼくの場合、たぶん「怒る」っていうエネルギーを使う、ということと、その「怒り」を我慢する、ということを天秤にかけたときに後者が勝りやすい、ということだと思う。言い換えれば、「その人のために『怒る』」のではなく、「自分のために『怒らない』」。
本気でその人のことを思っていたら「怒る」べきなのだろうけど、「怒る」エネルギーを費やすのを厭う。ある意味、あらゆることに「本気になり切れない自分」がそこにはいる、そんな気がしている。
でも、そのおかげで、自分自身はイライラしにくいから必然的に幸せを感じやすいとも思っている。
どちらにしろ、それが確かに自分の性格。
話は変わって、今年のGWは半分くらい実家にいた。といっても、5日しかなかったから2日とちょっと、ということだが。
その中でこんな場面があった。
うちの実家は今、姉夫婦が同居していて、2世帯住宅になっている。姉夫婦には小学2年生の息子(ぼくにとっての甥っ子)と、年中さんの娘(姪っ子)がいる。まだこどもが小さいこともあって、その子たちと姉は、夜は居間で寝ているのだが、ある朝、ぼくが居間に降りていくと、なんだか変なにおいがするなと思った。
そのときはまだ甥っ子たちは寝ていた。
まだなんか匂う。
クンクン
姉と、ここだ!と思った息子の寝ている隣の布団。
まさか。
甥っ子のズボンを嗅ぐとやはり。
そのあと甥っ子はすぐにお風呂に入り、布団は洗濯、パンツやあまりにも匂う布団は処分することとなった。
そのときのばば(ぼくにとっての母)と姉の言葉にはっとした。
「おなか痛くない?」
「昨日、変なもの食べたかな?」
ぼくには小学2年生でお漏らし、というのがよくあることなのかわからない。
でも、ふつうに考えて、朝からこどもを風呂に入れ、洗濯し、さらには布団や服を捨てなければいけない。その手間をかけさせられる。
さらに、”小学生なにのこんなことして将来が心配だ”なんて思ってしまう親も絶対いるだろうと思う。
にもかかわらず、第一声で「なにしてるの」ではなく、心配の言葉が出てくる、すごいなと思った。
世間体を気にするのではなく、一般的な「小学生」との比較をするのでもなく。
そんな家庭に育ったから、自分の今の性格があるのかな、なんてふっと思った。 そう思うと、少しだけ自分の性格もそんなに悪くないかなって思えた。
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