スタートライン10
一息ついて、また新たなスタートラインの前にいる。
踏み切って仕舞えば、一瞬でゴールに近づいていくような人生の旅は
ある種毎日がスタートラインで始まって、ゴールした途端にまた、新たな目標ができたりして、
明日がワクワクしたりして
時には、迎えたくない明日ならば、それを回避するための方法を考えたりなんかして
つまりそれらを終えた次の地点にまた、スタートラインがあるような感じがする。
明日が来て、また今日のスタートラインに立つ。物事をこなして、総括してまた明日のスタートラインで、宿泊する。いつもそこには、バーやホテルがあって、本屋もあって、共有スペースもあったりして。たまにそこに旅のしおりや経典なんかも置いてある日もある。そこでその時々に相応しい準備をして、眠る。
いつの日か、そこにとてつもなく永い日々への準備がなされる日もあるのだろう。それを予測することはできないけれど、いつでも小さく見えないところに、各宗派のための本や無宗派のための走馬灯の類いも置いてあるような気がする。今は大きくは見えないけれど、忘れないようにすぐそこに手の届く範囲に、それがあるような感じがする。今日の僕の前には、それがある。それは、同じ年代で死んだ津野さんや、ずっと某SNSで陰ながら応援していた某大学修士課程の白血病患者が過日、永い選択肢を取らざるを得ないというご両親からのメッセージを読んだからだ。
いつそうなってもおかしくない、いつでもその岐路にある。
そんなことはある一方で、僕はこれからの進路を決めあぐねているところもあって。生きるってのは様々なブースターが必用なようだが、僕にはまだクラウチングスタートの筋力が戻ってきていないような気もするし、それでも何とか一度死んだ後、ここまで戻って来れたようなある種の達成感もあるような気がして、もん、もん。
お金は大事。だけれどやりがいも大事、何より健康が大事、そしてそれには基盤が大事、ってなるとやっぱりお金が大事、の堂々巡りで、休みの日は勉強と睡眠と趣味に勤しみたい一心で他のことは疎かにしがち。でも、それを踏まえて、スタートラインには、あらゆるものが準備されている。
当たり前じゃない連続が、目の前に広がっている。忘れがちなことだけれど、実感させられっぱなしで。それでも、怠惰になったり惰性で動いてしまうこともあるけれど
何かを変えようと漠然とした気持ちもあって入室したこの場での日々も、もう2年をまるまる迎えた。
毎日立つスタートラインのお供に、起爆剤を少しずつは、投入できているような気がする。
本格的な瞬発力トレーニングは、まだまだこれから、ってことになりそうだけれど
(時には、いわゆる幸せという形式の大波に攫われそうになることもあるけれど)
色々な潮流は焦らす自分の力で作っていけるようにしよう。
まず最初のコーナーは攻め過ぎずに、肩の力を抜いて
バックストレートはリラックスして伸び伸びと
後半のコーナーは正念場、ここぞという時に踏ん張って
ラストのホームストレートで自分らしい走りをする
常にそんな形で、僕が僕らしいままであれるように、胸を張って(猫背治したいし)
また、立とう
毎日のスタートラインに。
10号室のスタートラインより。
全てのスタートラインに立つ人よ、幸あれ
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