【010】八木さんのお茶

綾鷹
住人

入院。

11月上旬。
私はとある病気を患ってしまい、10日間ほどの入院生活を送ることになった。(コロナではない)

入院するのは幼稚園以来2回目のことだ。

別に体調を崩しやすい体質ではなかったので、”入院するほど体調を崩していた”という事実に自分でも驚いた。
しかし確かに、振り返るといつもの風邪とは症状が異なっていた。

体温がジェットコースターのように大きく上下したり、最初は熱っぽさだけだった症状が、日を追うごとに気持ち悪さ、喉の痛み、食欲不振、吐き気と変化するなど、どう考えても風邪とは言えないつらさだった。
最初の体調不良から5日ほど経ったころには、何も飲み食いできない状態になっていた。

さらに、発熱しているためにどの医療機関に行っても当然コロナを疑われてしまう。
「この世の中には2種類の発熱患者しかいない。コロナか、風邪か。」
とでもローランドに言われているのかと思った。

そんなこともあり、体調不良となってから病名も分からず1週間が経ってしまっていた。
3度目の正直だと力を振り絞って訪ねた医療機関で「大きな病院に行ってください。」と言われ、その病院で検査を受けて病名が分かり入院が決まったときは、別に全く嬉しくはないのだが、正直「やっと楽になれる…」とホッとした気持ちもあった。
どうやら、血液検査で通常の100倍以上の値を示す項目があったほか、その病気だけでなく脱水症状や栄養失調も引き起こしていたようだった。

ただこれが全く予期していなかった即入院で、私は必要なものすら取りに行かせてもらえず、一人暮らしのため誰かを頼ることもできず、ほぼ何もない状態で入院することに。

病院での検査中に一度気分が悪くなってしまった私は車椅子に乗せられたまま、病棟に移動した。


部屋は4人部屋。自分のベッドは窓側だった。そして周りはおじさんたちだ。

気持ちの整理は全くついていないものの、とりあえず持っていた荷物を整理していると、同じ窓側にベッドがある八木さん(仮名)が話しかけてきた。

「にいちゃん、どうした?」

私は力ない言葉で、自分の症状と、そして即入院になってしまったことを伝えた。

「そうかい、大変やねぇ」
「お互い、早く治していこうな」

ありがとうございます、と返してベッドに戻ると、今度は他の方が私に話しかけて下さった。
病院では、こうやってお互いに病気の話をするんだな、と慣習のようなものを感じた。

少し落ち着いてから周りの方々を見ると、私は点滴1つなのに対し、どの方も点滴のほかにいくつか機器がついていた。
きっと私よりも大変なはずなのに、そんな中で労わってくださったのに、私は気の利いた言葉も返せず、「ありがとうございます」としか言えなかったことが自分で腹立たしかった。

元気がなかった、言葉を返すので精いっぱいだったとはいえ、自分に失望した。


翌朝。
病院の朝は早い。6時から順次採血やバイタルチェックが始まる。
起きてカーテンを開けた私は、八木さんに話しかけられる。

「おはよう。楽になったか?」

慣れない環境であまり寝れなかったが、少しは楽になりました、と答える。

「うんうん。昨日よりだいぶ顔色が良いもの。」

そう言って八木さんは喜んでくれた。

そんなに昨日は顔色悪かったのか。でも少しは良くなったのかな、と感じる。
そして、自分の体調を気にして下さることがとても嬉しかった。

その日の午後、八木さんから何本もペットボトルのお茶をいただいた。
聞くと、ご家族が大量に持ってきて有り余っていたらしい。

しかし勝手にお茶を飲んでいいのか分からなかった私は、そのお茶をとりあえず冷蔵庫にしまうことにした。


その日の夜から、これまで以上の高熱と寝汗に悩まされるようになった。
ただでさえ水分が足りていないのに、朝起きると服がびっしょりだった。

看護師さんに、点滴以外にも水分を摂るよう言われ、そこで私は八木さんのお茶を飲むことにした。

はじめはほんの一口だった。
久々に飲むお茶がとても美味しかったのもあるが、それ以上に不思議と元気が溢れてきた。
八木さんの優しさや元気を、お茶を通じて授かっているような気がした。

まるで魔法のように、八木さんのお茶を飲むと心も落ち着いた。
それから私は、少しずつ大切にそのお茶を飲むことにした。


次の日。
だんだんと食事も食べられるようになってきて、体調も戻ってきた。
なんとか日中は元気に過ごせそうだ。

そして朝食が終わると、いつものように話しかけてくれた八木さんと細かい話ができた。
仕事のこと、どんな人生を過ごしてきたかなど、どれも興味深い内容で、あっという間に時間が過ぎていった。

それから毎日、朝食後は窓際に同じ部屋のメンバーが集まって朝会のように会話をするのが恒例行事になった。
人生経験の浅い私に、たくさんのアドバイスやお言葉をいただいた。

もちろん入院生活は大変なことも多かったが、それもみんなに話せば笑い話になった。
あるいは、こうしたらいいよと言ってくれることもあった。

「なんでこうなっているのか、こんな薬を処方されたのか、どんな副作用があるのか、調べたり聞いたりして分かることを知っておくことが何より大事」
「あんまり聞くと煙たがられることもあるけどな、命預けてるんだから遠慮しちゃいかんよ」

「自分の身体は、自分で守るんだから」

そういった言葉に後押しされ、私は気になっていたことを担当の先生にたくさん質問した。
説明を受けて、私の不安はどんどんと解消されていった。

不安も減ると体調も回復していくもので、だんだんと1日に点滴する量が減り、ついには点滴が終わった。


私の点滴が終わった日、八木さんが翌日退院することが決まった。
八木さんは私より先に点滴等も終わっており、最後の検査の結果を待つだけの状況だった。

退院が決まってから、八木さんは身の周りのものをたくさん私にくれた。
みかんや飴、ティッシュ、そしてお茶も。

そして翌日の朝は、最後の朝会だった。
八木さんは短く、「俺らはもう、一生会わないのが一番だからな」と言った。

私は、寂しさから「またどこかでお会いできたら」と言いたい気持ちをグッとこらえる。
確かに一番良いのは、みんなが健康で過ごすことなのだから。

そうこうしているうちに担当の人が来て、八木さんは部屋を去っていった。


それから数分後のことだろうか、担当の先生が来て、今度は私の退院が翌日に決まった。
長かった入院生活もこれで終わりか、と思うと、嬉しいような寂しいような気持ちだ。

八木さんがいなかったら、私はこんなに元気になっていなかったかもしれないな。

そう思った私は冷蔵庫を開け、残っていた八木さんのお茶を一気に飲み干した。
そして力強い足取りで、院内のコンビニに向かう。

何種類もあるペットボトルのお茶を見渡し、私は迷うことなく八木さんのお茶と同じお茶を選ぶ。

―― 選ばれたのは、綾鷹でした。

フォルテッしも

1999年生まれ。うどんが好き。変えられるものを、変えていく。 思ったことを、思っただけしか書きません。

プロフィール

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