自分を敬うということ
何者にだってなれそうな時代に
この世の中で
あえて
「自分になる」
簡単なようで
難しいらしい。
気づけば
周りに流されて
まるで正解かのように突きつけれた理想に
近づきたい
近づかなきゃと
焦っている自分にすら気づけないまま。
手に入れたい
手に入れたい
と
見失って
失って
初めて
気づく。
あれ?
なんだったけ。
本当に、何が手に入れたかった?
近づきたかった?
あれ、自分って、どんな人だった?
自分じゃない誰かになって、自分じゃない誰かが嫌われて
そんな自分が嫌いになって。
なんだそれ。もったいない。
でも、当事者はどうしようもない時だってある。
だから、話したいんだ。抜け出したいんだ。
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さて、今日という日は忘れられない日付ですね。
みんなが、1日を無事に過ごせたら、それだけでもいいのかもしれません。
自分はあのとき、覚悟や人間の本質や本性が見える瞬間だったとも思います。
日々の生活でなんとなく感じていた違和感が、目に見えて現れた瞬間でもありました。
周囲の人々に正確な情報を伝えて安否確認をする中で、どれだけ助け合おうとした人がいたか。
そのとき、覚悟した。自分はこの環境に長くはいられないと。
いまはあれから10年以上経って、そのときその場所からは離れたことで、
生きて平和ないまを過ごせていることにまず感謝だな。
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さて、冒頭からのお話で、
近ごろよく耳にするのが
「自尊心」
何事もうまく進めるためには、必要なことらしい。
人から与えられることを望む前に、
自分が自分を敬う。・・・って?
「敬う」
↓
「崇める」
↓
「この上ないものとして扱う」
ことらしい。
それよりも
「大切にする」
って言葉の方がピンときた。
価値が高い、貴重。
「大事」
↓
「物事の根本からかかわるような重要なこと」
つまりは・・・?
根本が大事!
「根本」
↓
「物事を成り立たせている基盤となっている事柄」
ふむふむ。
「基盤」→「基礎」→「基本」→「おおもと」
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どんどん、根っこの方に近づいてくる。
おおもとって、つまり自分じゃない?
やっぱり「自尊心」って本質なのかもしれない。
自分自身の、おおもとの根っこの方を、この上ないものとして扱う。
そうしたら、きっと、見えてく世界が変わる。
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未来に向かうために
過去と向き合って
片をつけて
今どうしたいかを見つめる
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もうすぐ春ですね。
もう一度、はじめたい、自分を。
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