自分を敬うということ

住人

何者にだってなれそうな時代に

この世の中で

あえて

「自分になる」

簡単なようで

難しいらしい。

気づけば

周りに流されて

まるで正解かのように突きつけれた理想に

近づきたい

近づかなきゃと

焦っている自分にすら気づけないまま。

手に入れたい

手に入れたい

見失って

失って

初めて

気づく。

あれ?

なんだったけ。

本当に、何が手に入れたかった?

近づきたかった?

あれ、自分って、どんな人だった?

自分じゃない誰かになって、自分じゃない誰かが嫌われて

そんな自分が嫌いになって。

なんだそれ。もったいない。

でも、当事者はどうしようもない時だってある。

だから、話したいんだ。抜け出したいんだ。

++++++++

さて、今日という日は忘れられない日付ですね。
みんなが、1日を無事に過ごせたら、それだけでもいいのかもしれません。

自分はあのとき、覚悟や人間の本質や本性が見える瞬間だったとも思います。
日々の生活でなんとなく感じていた違和感が、目に見えて現れた瞬間でもありました。

周囲の人々に正確な情報を伝えて安否確認をする中で、どれだけ助け合おうとした人がいたか。
そのとき、覚悟した。自分はこの環境に長くはいられないと。

いまはあれから10年以上経って、そのときその場所からは離れたことで、
生きて平和ないまを過ごせていることにまず感謝だな。

++++++++

さて、冒頭からのお話で、

近ごろよく耳にするのが

「自尊心」

何事もうまく進めるためには、必要なことらしい。

人から与えられることを望む前に、

自分が自分を敬う。・・・って?

「敬う」

 ↓

「崇める」

 ↓

「この上ないものとして扱う」

ことらしい。

それよりも

「大切にする」

って言葉の方がピンときた。

価値が高い、貴重。

「大事」

 ↓

「物事の根本からかかわるような重要なこと」

つまりは・・・?

根本が大事!

「根本」

 ↓

「物事を成り立たせている基盤となっている事柄」

ふむふむ。

「基盤」→「基礎」→「基本」→「おおもと」

++++++++

どんどん、根っこの方に近づいてくる。

おおもとって、つまり自分じゃない?

やっぱり「自尊心」って本質なのかもしれない。

自分自身の、おおもとの根っこの方を、この上ないものとして扱う。

そうしたら、きっと、見えてく世界が変わる。

++++++++

未来に向かうために

過去と向き合って

片をつけて

今どうしたいかを見つめる

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もうすぐ春ですね。

もう一度、はじめたい、自分を。

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