透明になる
「そのとき、透明になった感覚があって」
そんなお話を聞いた、土曜日の昼下がり。
「我(が)を捨てて、正直に素直にお任せする。命を帰する。」
そう、戒(いまし)められた、日曜日のお昼前。
たくさんの思考が巡った週末を経た、月曜日。
ふと、繋がった気がする。
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「執(とら)われ」ないこと。
まさに「執着(しゅうちゃく)」しないこと。
これが、頭ではわかった”つもり”でも、心はどうしようもないことがある。
でも、どうにもならない事を、繰り返し考えるのは阿呆(あほ)な自分だなと。
やっと心でも感じて気づけてきた。
だって、「どうにもならないこと」=「苦」らしいから。
自分で苦しみを感じる時間を増やすことになってしまう。
「時間」=「命」
命を捧げることに、慎重にならないと。
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我を捨てるといっても、
自分を大事にするのは確かなのだけど。
我慢を強いて従うのとは違うくて。
自分が自分が!なんで自分が?!みたいな、
他を敵対視したり自分の都合で変えようとする強い我じゃないというか。
自分は「透明になって」
誰かの「楽しい」に寄り添ったり
誰かの「叶えたい」に力を尽くしたり
自分の命をつかって、隣にいる人や、みんなが楽しくなればそれでいいじゃん
それってきっと、自分もハッピーじゃん
それくらいの感覚で。
素直に進んでいったら、いつの間にか、
自分の「叶えたい」も大きくなって形になる気がしてくる。
ここ数ヶ月、めちゃめちゃ「自分」と向き合ってきて、やっと切り抜けそう。
透明になったら、きっと、なんでも入ってくるし、写せそう。
そしたらなんだか急に、リアルに宇宙規模の仕事をしている方と話せたり、
宇宙をテーマのアーティストと話したり、視点がぎゅーっと、拡がった!!
狭〜い自分一人の世界観から比べると、拡がりすぎ!(笑)
来月、どんな視点を観ていられるかな、自分自身に振り回されたくないな。
透明になりたい。
30回目の記事となりました!
健康にかけていることが、ありがたい。
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