10を知ったつもりになって
秋が深まってきた。
いつの日だったか、私がこの地でりんご音楽祭に出演したのは。2012、2013年のことだった。
まだ全てが若くて、見える景色は全てとてつもなく明るく輝いていた。社会のことは、舐め腐っていた、けれど、周りにいる人たちも
社会人たちでさえも、社会を憎んでいるような人ばかりで、それが正解だと思っていた。正解、と思われるレールは空想で、そんなことはくそ喰らえだった。
今でも、そのような、常識に囚われることばかりが正解だとは思わないところは、多にしてある。けれど、少しだけ社会に溶け込んでしまったから、ストップが
かかるようになってしまった。
実につまらない傾向だと思う。
10を知ったつもりで、自信に満ちている生き方は、とても楽しかったと思う。頭でっかちで、経験が足らずに悔しくて、必死に努力しようとして
空回りして、またそれも楽しい人生じゃないかと思う。若くて必死だから、周りが放っておかない。そんな環境もよかった。
今となれば、やらないのは自分の責任、それぞれ知ったこっちゃない、なんてところで、みんなが個人主義。楽しくない、社会とは。
たまには、ドライブに出かけよう。
たまには、景色を見に行こう。
そうやっていくうちに、知ったつもりだった10が、不完全であることに気づく。
いくら何回見返しても、また新しい発見をいつでも見つけることができる
そう考えると、人生って本当に面白い。そこに、たまにどうやっても邪魔だと感じるものや人が出てくることもあるから
そんな時は、少し迂回することも必要だと思う。そして、それを知ったことで、また優越感を持って、社会にでることになる
そしてまた、知らないを知ることになる
そうやって、尖って生きていこう
僕の10は、いつでも未完成なのだから。肯定も否定もしない。なぜなら、それは、僕の人生、そのものなのだから。
10号室 t tatsuより
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