ノイズミュージックへの誘い

住人

今回はノイズミュージックについて書かせていただきます。まだ始めてから2ヶ月足らずですが、毎日毎日ノイズまみれの最近です。そもそもノイズミュージックとはなんなのか、ええと、わたしなりに説明するとテレビの砂嵐とか、マイクのハウリング、冷蔵庫のウウウと唸る振動音などを合奏したものといえばいいでしょうか。「これがノイズミュージックだ!」という演奏はできません。だって初心者ですからね。

しかし、ノイズの魅力なら語れます。わたしにとってノイズは焚き火の炎のようなもの。炎は一時たりとも、同じカタチをしていません。常に変化し続けます。ノイズもまた同じです。ノイズミュージシャンの方々はきっと必然的にそのノイズを鳴らしているのでしょう。でも、わたしにはそんなことできません。初心者ゆえの偶然、それが強みです。意図せず生まれるノイズが愛おしいのです。

わたしはエンタメが見るのも作るのも苦手です。もちろん素晴らしいと思います。稽古して練習して、汗や血を流して作り上げた作品は大金にも代えがたいものです。偶然ではなく、必然と芸術になるよう、たゆまず努力し続けることを称賛します。一方でビギナーズラックってあるじゃないですか。偶然、生まれてしまった芸術。どっちがすごいかと問われたら、多くの人が迷わず鍛錬されたエンタメを推すでしょう。でも、わたしはビギナーズラックに一票入れます。理由はうまく言えません。無理やり言語化すると、悲しいくらいのひとりよがりなギャグだからです。わかりませんよね、この感覚。

わたしは努力をしたくありません。辛い目にも遭いたくありません。ただただ楽しくノイズという焚き火を見ていたい。ゆらゆらとした炎の揺れをずっと聴いていたい。《人に聴いてもらう音楽》という不自由から解放されていたい。文章もそう、イラストも同じ!

ここで一旦話を変えます。わたしとは何者なのか。50歳のおじさん、それ以上でもそれ以下でもありません。かつて小説家を目指しました。努力をしました、迎合もしました、自分を売り払ったりしました。でも、今はそんなことに疲れて、ひたすらノートに手書きで短い小説、意味不明な詩、好き勝手に書くエッセイ、誰に宛てるでもない手紙などを書きまくっています。ここ一年でイラストも描くようになりました。ちなみにイラストは毎回一発描きです。絵がうまくなりたくはありません、いつまでも小学生のような味のある絵を描いていたい。

ちょっと話が逸れました、わたしは文筆家でもあります。いやいや、ノイズミュージシャンである前に、文筆家です。なんてたって30年、書き続けていますから。平日は少ないですが、毎日1時間書き物をしています。休日は朝活で2時間近く書いています。コツコツやるのは大変? でも、これは努力ではありません。好きだから文章を書いている、楽しいから絵を描いている。それだけです。

さらに話をややこしくするとわたしには《絶叫朗読家》という一面もあります。言葉の通り、自作の詩を絶叫して朗読します。ディレイ、つまり山びこ効果を生み出す機械を使って叫びます。好きな理由はシンプルです、言葉を繰り返すのが好きだからです。文章を書く行為も日々繰り返しています。同じような一日を書いてゆくのが楽しい、気持ちいい。

話が散らかってしまいました。ノイズミュージックに戻りましょう。ノイズはそんなわたしの堅牢な日常を文字通りぶち壊しています。人には一日24時間しか時間を与えられていません。さきほど、物書きに日々1時間かけていると書きましたが、ここ数ヶ月、そう、ノイズを始めてからは30分、半分に激減しています。削った時間をノイズに充てているのです。それだけ今はノイズ熱が高まっています。わたしは熱しやすく冷めやすいので、ノイズも急に冷めるかもしれません。それをわかっていながらも、ノイズ関連の機械を買わずにはいられません。お金がかからないから、という理由もあって始めたはずなのに、月に数万円かけて機械を揃えています。「お父さん、耳聞こえなくなるよ」と娘に注意されてもやめられません。「頭おかしくならないの?」と妻には笑われていますがやめる気はありません。熱が冷めるまで、とことんノイズ沼にはまろうと思います。イラストと同じく、もっというまくなりたいとは思いません。もっと、ずっと初心者でいたいんです。わたしは《偶然》という名の芸術家になりたいのかもしれません。つまり《即興アーティスト》?

なかがわ よしの

生涯作家投身自殺希望。中の人はおじさん。早くおじいさんになりたい。

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